LINE法話「善き友」

恨むと、恨まれます。妬むと、妬まれます。憎むと、憎まれます。
拝むと拝まれます。ですから皆さん、拝み合いましょう。

おはようございます。
朝晩、冷え込んで参りました。体調にはくれぐれもご留意下さい。

さて、皆さんは職場で、学校で、ご近所で、苦手だなという方、嫌だなと思う方はいらっしゃるでしょうか。一度その方のことを嫌だなと思うと、その方の嫌なところがいくつも見えてきて、ますます嫌になってくるものかと思います。

しかし、意外にもその方の嫌な所というのは、実は自分の欠点であることがよくあります。例えば、私は以前、「あの人神経質で苦手なんだよ」と、友人に話しをしていたら、「君も大概神経質だよ」と言われたことがあります。

これは自己啓発の世界でよく言われることだそうです。他人の嫌なところは自分の欠点でもあると。正に人の振り見て、我が振り直せですね。

このことを、3000年も前に気づかれていたのがお釈迦様でした。

お釈迦様には、提婆達多という従兄弟がいました。初めはお釈迦様のお弟子の一人でしたが、後にお釈迦様に反逆し、お釈迦様を亡き者にして教団を乗っ取ろうとしたなど、佛教における大悪人の代表とみなされています。生きながらに地獄に落ちたとさえ言われています。

しかし、お釈迦様は「提婆達多こそ、私が悟りを開くに当たっての恩人であり、私を高めてくれる善知識である」と仰いました。善知識とは正しい道理を教えてくれる善き友という意味です。

善と悪とは表裏一体です。誰かが悪行を働けば、逆に正しい行いとはなんであるかが、自ずと見えてくるもの。ですからお釈迦様は提婆達多こそ、善き友であると仰ったのです。

皆さんの周りにいる、苦手だなという方、嫌だなと思う方もまた、皆さんにとって善き友なのです。

そう考えてみますと、果たして私たちの住むこの世界に悪人はいるのでしょうか。全ては私たちの心次第。
まずは、相手を善き友と思い、拝むような心で接することが大切です。
 
恨むと恨まれます、嫌うと嫌われます。拝むと拝まれます。
拝み合う心で、今日一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。

それでは、皆さん。本日もお元気で、いってらっしゃいませ。

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