LINE法話「メダカ」

おはようございます。
ここにきて季節がグッと進んだ感じがします。もうすぐ冬ですね。

先日、とある知り合いのお宅に行く機会があり、玄関のチャイムを鳴らそうとしたその真下に、そのお宅の御主人が趣味で作られたお手製の水槽がありました。

プラスチックの水槽の周りを好みの木材を使って囲い、その中には水面(みなも)に浮かぶ浮草に水中から伸びる水草、そして流木を模した木片。水の透き通り具合といったらそれはもう…底まではっきりと見えるほど綺麗に透き通っており、いわゆる「ビオトープ」がそこにありました。

水槽があれば中に何かいるんじゃないかな~と覗きたくなるのが私達の心情。私も御多分に漏れず中を覗き込んでしまいました。するとチラッと動く影が!

覗き込む人の期待に応えるようにそこには可愛らしいメダカが沢山泳いでいました。

聞くところによると、ご主人も最初は友人に勧められてなんとなーく飼育を始めたに過ぎなかったそうですが、お世話していく内に段々と愛着が沸いてきたそうです。今では毎日餌をあげる時に中をじっと覗いて、小さいヒレをピコピコ動かしスイスイ泳ぐ姿が可愛くて可愛くて、「見てるだけで癒される、飼育しているメダカ一匹一匹の行動すべてが可愛く見えてくるんだよ。」
御主人にとってこのメダカたちは我が子の様に可愛い存在なのかもしれませんね。

実はお釈迦様もお経の中で同じような思いを語られています。
「今この三界は 皆これ吾が有なり その中の衆生は 悉くこれ吾が子なり」

お釈迦様が私達を見守るお姿は、きっと私達が水槽の中にいるメダカを眺める姿と同じでしょう。

メダカたちが水槽の中でどんな人間関係ならぬメダカ関係を築いているのか、中には目立ちたがりで水面(すいめん)にぐいぐいやってくる子もいれば、水草の陰に潜み姿を現さない子もいます。たとえその子たちのメダカ界での関係性がどうであるか分からなくても、外から見ている私たちはどんな子も個性があってそれが可愛い、どうにか面倒をみてあげたいと思い、お世話をします。

水槽にいる全てのメダカが可愛く見えるように、お釈迦様から見たこの世界に生きる私達全員も可愛く見える「我が子」であるのです。

地球という大きな水槽の中で私達はお釈迦様に見守られながら今日も生きています。お釈迦様は常に大いなる慈悲の心をもって見守ってくださっています。
ですから、私達は誰しも生きている意味がない人はいないのです、ここにいることに必ず役割があります。いつでもどこでもどんな時でも、お釈迦様に見守られて生きている、
そう思うことで今日も一日頑張ろうと一歩踏み出す力になるのです。

それでは皆さん、今日も一日お元気で。いってらっしゃいませ。

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