曇り無き 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く
こんにちは!研修生の渋谷修大です。
暑さ寒さも彼岸までと申しますが、秋のお彼岸を過ぎて10月は一気に涼しくなってきましたね。
先日、10月2日から3日の1泊2日で、東北研修として宮城県へ行って参りました。
1日目は、石巻市震災遺構 大川小学校を見学し、その後南三陸町災害対策庁舎を含む復興祈念公園を語り部の佐藤さんに案内して頂きました。
私は名取市という津波被害を受けた市の出身なのですが、震災当時から千葉県の在住でして、恥ずかしながら今回初めて震災の遺構を拝見しました。
当時の私は高校生で、津波の被害はTV中継で毎日見ていましたが、今回初めて生の遺構を目の当たりにして、言葉を失いました。
大川小学校では、教職員10名、児童74名が犠牲となりました。
学校全体を津波が襲い、吹き通しになってしまった教室、体育館に至っては基礎のみを遺すだけという凄惨な現場がそのまま遺されていました。
南三陸町では、最大16mの津波が襲ったそうです。
対して災害対策庁舎は12mほど。
大きく曲がった非常階段の手すりなどから、津波の威力が察せられます。
この災害対策庁舎で最期まで防災無線で避難の呼びかけをされていた方がいらっしゃいました。
全国紙等では、職員の遠藤美希さんが、防災無線の呼びかけを最期までしていたとして取り上げられ、学校の教材にもそのエピソードが語られております。
しかし、今回語り部の佐藤さんから、途中で遠藤さんを屋上へ避難させ、防災無線のマイクを最期まで握っていたのは美希さんの上司だった三浦毅さんだったことを伺いました。
震災後作られた祈りの丘からの景色です。
祈りの丘は津波を忘れないため、南三陸町を襲った津波16mの高さで出来ています。
これほどの高さの津波が襲ったとは思えないような、信じがたい高さでした。
だからこそ、当時逃げ遅れてしまった方々がいたのでしょう。
2日目は、午前中に日蓮宗最北の本山、孝勝寺様を参拝させて頂きました。
こちらも恥ずかしながら初めて参拝させて頂きましたが、流石本山という立派な伽藍に、平成15年に建立された五重塔は、実に美しく、また迫力満点でした!
午後には、本法寺様を参拝させて頂きました。
まるで本山のような伽藍に、今まで見たことの無い大きさの尊神さまと大黒さま、そして600x2本で千二百羅漢の柱。
これまでの常識が覆されるような思いがしました。
そんな妙栄寺様の本堂には、李敏柱主任先生が御寄進された太鼓が!
流石は我等が李先生です。
そして実は扁額も・・・?
1泊2日という短い期間でしたが、震災の現実を目の当たりにして、改めて自然災害の脅威を認識しました。
しかしながら東日本大震災では、過去の災害の例を軽視した人災の面も指摘されています。
この出来事を後世へと語り継いでいくことで、私たちの子孫たちが同じ目に遭わないようにしていかなければなりません。
今回訪れた施設や、お会いした方々の活動がどれだけ大切なことかを改めて思いました。