蓮船寺では小田原七福神の一つ大黒天がおまつりされています。
本堂には小さな木造の仏像が二体
境内には大きな石像が一体あります。
こちらは平成10年から始めた小田原七福神の仏像です。
寺伝によれば、江戸時代中頃に小さな仏像二体が京都松ヶ崎のお寺から小田原に遷座されたという事ですが、そのいきさつについて詳しい事はわかりません。
江戸時代に京都の七福神信仰は関東でも知られていて、信仰を集めていたようですが、現在でも松ヶ崎大黒天は京都七福神で有名です。
蓮船寺過去帳には町の職方による立派な厨子が奉納され関わった職人たちの氏名が記されており盛大に法会を営んだようです。
二体のうち一体は大黒天の中でも天台宗の比叡山で最初にまつられた三面大黒天の様式の仏像です。
もう一体は一般的な形の俵に乗っている大黒天像です。
寺伝では後者は京都で布教をした日像聖人の感得による仏像であるといわれています。
日蓮宗ではさかんに大黒天がおまつりされていますが、これは日蓮聖人が比叡山に修行され、大黒天の感得を受け、お弟子さんに大黒天を勧請するようにすすめられたからだと思われます。
参考文献 「大黒天供養 富木殿江」
「大黒天神供養相承事」
日蓮聖人の代表的な著作である、「立正安国論」の冒頭にも、「七難即滅、七福即生」の仁王般若経の語句が引用されておりますが、鎌倉時代にもすでに、百人の僧侶がこの経を講ずるという仁王会(にんのうえ)という儀式が盛んに行われていたようです。
後世このお経文にちなんで、七福神を選んで盛んにお参りをするようになったのが、七福神めぐりです。
さて三面大黒天は毘沙門天、弁財天を大黒天と合体した神様ですが、前述のとおり比叡山に最初に祀られて全国に広まった信仰と思われます。
中でも京都の高台寺(豊臣秀吉奥方のお寺)の仏像が有名です。秀吉は三面さまを自分の守り本尊とし、立身出世したので、出世大黒天とも呼ぶようになりました。
大黒天さまの顔の左右に弁天様と毘沙門天様が彫られておおり、一度に参カ所のお参りをした功徳があるという事なのです。いかにも秀吉が喜びそうな話ですね。
金運豊かな人を連れてきたり、重要な人物と巡り会う奇跡を起こしたり、客商売では、お客さんの入りが良くなるという、とてもありがたい神様として今も全国的に大人気なのです。