円眞寺について

ごあいさつ

【由来】
開創年代は不明。
天正18年(1590年)の太閤秀吉公による小田原征伐により討死した齋藤大学之助久義(温台院殿善法神儀)の霊位の追善防営せりと、大過去帳に記されている。
開創当時は円経院と称し、小田原北条氏御家門方である蒲田所左衛門忠義(衆臣家譜によると江戸氏の蒲田重武とされる)の発願により、比企谷妙本寺・池上本門寺両山第14世日詔聖人を開山に招請。​
寛永7年に蒲田所左衛が門逝去したのち、妻妙蓮と子息重吉が施主となり所左衛門の供養並びに蒲田家先祖の菩提を弔うために碑文谷法華寺より僧侶を招き法華経一千部を読誦した。
その功績により寛永10年に当時の本寺である碑文谷法華寺より「蓮忠山」の山号、「円真寺」の寺号を賜ったと伝えられる。
碑文谷法華寺解体後は小湊誕生寺の末寺となり、現在に至る。勇師・通師雑司谷法縁。
縁起詳細は>>こちら

【境内】
琴を奏でる天女と、その音色の美しさに浸っている龍神の彫刻が特徴の山門をくぐると正面に本堂、右手にさざれ石が目に入る。
さざれ石は細かい石が自然の時間で寄り集まり大きな巌となったものであるため、持続や繁栄の象徴とされる。
君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて、苔の蒸すまで・・・
と、神詞であり、日本の国歌である君が代でも詠われているように。
またこのさざれ石は、近年では落ちそうで落ちない合格祈願の縁起物としても知られているようである。
平成28年に筆頭総代である斎藤文夫氏(斎藤大学之助の子孫筋)による奉納。

残念な事に、太平洋戦争による空襲で、円真寺の伽藍は享保9年建立の山門・鐘楼堂を除き灰燼に帰している。
正面にある本堂は昭和40年再建。第27世日照聖人染筆の大曼荼羅御本尊、釈迦立像、祖師像を正面に、左陣に鬼子母神を祀る。右陣は位牌堂。
その他、不動明王・コンガラ童子・セイタカ童子を祀る願満堂・稲荷社・水神社が、門前には日蓮大聖人の銅像がある。

【主な年中行事】
毎年1月8日 初題目・祈祷会
毎年7月7日 盂蘭盆施餓鬼会大法要
毎年10月19日 宗祖報恩会式法要

毎月8日 信行会(御経と写経)
その他の行事については適宜「イベント・活動」の所に書いていきますので、そちらを参照ください。

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住所

〒2120011 川崎市幸区幸町3-711

交通アクセス

※カーナビゲーションや地図アプリで設定すると、裏の路地に出てしまいますので注意してください。
周囲の道は一方通行になっております。
自動車の方は「ソリッドスクエア」を目指していただき、幸町二丁目の標識が出ている信号を路地にはいってください。
しばらく進みますと右手にお寺が見えます。

正式名称 蓮忠山 円眞寺( えんしんじ)
住所 〒2120011 川崎市幸区幸町3-711
電話番号 044(544)7676
メールアドレス enshinji.temple@gmail.com
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