初めまして。本寿庵の庵主でございます。
風薫る五月を迎えました。
本寿庵では、稲電流仏法茶道を提唱しお伝えします。
【稲電流の一葉の点前とは】
冬を越えて引き締まった樹木の幹に、
春、芽を吹き
梅雨、降る雨に青葉を濡らし
夏、盛りを迎え
秋、紅葉し
冬のはじまり、葉を落として土に還る。
それは、一つの魂を幹として、輪廻転生を繰り返す命に似ています。
生まれ変わり死に変わり歩む私たち、一つの生を「一葉」に譬えるならば、
願わくば御題目を唱え、涅槃の蓮の弁「八葉」に向かう道を歩みたく存じます。
稲電流の茶の湯は「仏法茶道」
方便を終えて、仏の法である法華経の道を歩むための茶の道を示します。
【歩みの一歩】
昨年十月、日蓮大聖人御会式の月から法華経二十八品の聴聞・写経会を八か月にわたり歩んでまいりました。
「月も雲間のなきは 嫌にて候」とは、わび茶の開祖村田珠光の言葉です。
いま、明るい展望ばかりを期待できる時代ではありませんが、下ばかりを向いて人は生きられません。
いま、雲間の多き時代かもしれません。
仏法茶道では、雲間の多きを、そっと、しっかりと受け止める心をわび茶の心といたします。
仏法茶道は、お釈迦様が仏の法として定めた仏法・法華経を心とした茶の湯です。
広い大地、様々な時代に、人は生きてそれぞれに悩み、希望を抱き、仏に問います。
仏は、それぞれの立ち位置、時々に応じて方便の教えを説きますが、
雲間の多き末法に入っては方便ではなく、暗闇を照らす月や生命を育む太陽が一つしかないように、真実にたどりつく法は一つだけ。法華経の教えだけであると説きます。
同じわび茶を追求しながら、千利休さんの最期は非常に哀しく残酷なものでした。
村田珠光さんとどのような違いがあったでしょうか。
幼き頃仏道に入った珠光さん、紆余曲折を経ながらも最後はやはり仏さまの価値観に戻っていきます。仏の説く道は、時代や社会に応じた繁栄や没落と一致するものではありません。
きわどい一寸先は闇の道を歩むのか、
この世の道は険しくともその先に開く道も心得て歩むのか、
合掌する、法華経を聴聞することの始まりから終わりまで、一貫して大切な心はそこからです。
歩む道を誤ったままの合掌は、我見を強めるのみ堕獄のもととなります。
八か月にわたる聴聞・写経会が、正しく合掌するスタートラインの第一歩となりましたら大変幸いでございます。
本寿庵 庵主 窓月(伊庭妙環)

