八正道:正しく思うこと(正思)

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正思(しょうし)とは、正しい志とも、「心を明らかにする」とも言われます。諸々のとらわれから離れる、怒りや他を害おうとする心を捨てるものです。よっていかに時々の思いを整えていくかが大切になります。
 
何かを判断する時には、意識的に考える場合と自然にものを思い浮かべる場合があります。意識的に考えるというのは、
 
45×671=?
 
ジョギングしている時にこう質問をされたら、ひとは思わず立ち止まります。注意深く意識しなければならない時、心は一つに集中し他の活動がなおざりになります。特徴としては、体の方でも、瞳孔が開き、心拍数が上がるとされています。
 
逆に、わたしたちはほとんどの場合、自然にものを思い浮かべ、それに基づいて行動しています。直感的な判断力とも言い換えることができます。これは、危険を避ける時や習熟した物事を行う時には極めて短時間にしかも有効に働くものです。しかし、そこにいくつかの構造的な特性があって、第一に体調を含めた現在の状態に深く影響を受けてしまうとされます。
 
判事が仮釈放を決定する状況を調査した実験があり、受刑者に対する仮釈放裁決の平均値は35%となりました。しかし、判事が食事をとった直後の値は65%という高い数値であり、それが時間をおって低下し、食事の直前にはほぼ0%という結果になったそうです。研究者は様々な理由を探しましたが、空腹と疲労以外の主要因を見つけることができませんでした。裁決というような高度な活動にも、直感的な判断力が深く関わっています。1
 
「君が見ているものは今そこにあるものだけ」
 
ダニエル・カーネマンはこれをそう表現しました(what you see is all there is :WYSIATI)。わたしたちが漠と思う過去や将来は現在の状況から見られたもので、実際の過去や未来とは異なります。
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仏教における「正思」では、とらわれから離れることが第一に挙げられます。もとは「出離を思惟する」と言われ、世俗的なことから離れることを意味していました。よって逆説的には、世俗的なことに関しては、正しく思うことができないとも言うことができます。これは、瞑想が中心の生活なら可能かもしれませんが、わたしたちが正しく思い判断したいのはまさに世俗的なことですので矛盾となります。
 
日本では4組に1組の割合でカップルが離婚します。もともと結婚する時にやがて離婚すると思って結婚するカップルはいません。人生に重大な影響を及ぼすほどの強い確信でも4分の1の割合で間違ってしまう、しかもそのような間違いは決して自分には当てはまらないと思うのが、直感的な判断力の特性です。3
 
直感的な判断力のしくみは完全に解明されていませんが、現時点での体調や感情、本能的・生来的な特性、そして過去の経験から成り立っていると考えられます。
 
現在の体調や感情や本能的・生来的な特性もいかんともしがたいものです。またわたしたちは常に瞳孔が拡大し、心拍数が上昇するような意識を長く続けることもできません。
けれども、わたしたちは過去の経験にはアクセスすることができます。過去に間違ったことをしてしまった、そのことに「現在」、自然と気付いていること。正しく思うためには、過去の失敗を踏まえていくことが大切になります。
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思えば、ひとはそのようなあやまちの歴史を繰り返し、現在の文明を築き上げてきました。これはわたしたち各々の生の深まりにも言うことができます。
 
正しく思うとは、あやまちに気付いていくことです。
 
*1 “Extraneous factors in judicial decisions" by Shai Danziger, Jonathan Levav , and Liora Avnaim-Pesso (Proceeding of the National Academy of Sciences of the United States of America), 2011
*2 “Thinking, Fast and Slow" by Daniel Kahneman, 2011
*3 平成23年(2011)人口動態統計の年間推計、厚生労働省
*4 後悔や自責には憑依的な面や自律性が関わるのでここでは触れません。

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