釈尊涅槃会とは釈尊(お釈迦様・ブッダ)がインドのクシナガラにおいて、80歳で涅槃(ニルバーナ)に入られた聖日。釈尊の涅槃すなわちご入滅を偲ぶ法会です。
日蓮大聖人は「祈祷鈔」の中で釈尊涅槃の様子を詳細に述べられています。
仏の御年(おんとし)満八十と申せし二月十五日の寅卯(とらう)の時、東天竺舎衛(とうてんじくしやえい)国倶尸那(くしな)城跋提(ばつだい)河の辺(ほとり)にして、仏御入滅(ごにゆうめつ)なるべき由の御音(おんこえ)、上(かみ)は有頂(うちよう)、横には三千大千界までひびきたりしこそ、目もくれ心もきえはてぬれ。五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国(ぞくさんこく)等の衆生、一人も衣食(えじき)を調(ととの)へず、上下をきらはず、牛馬狼狗嘉鷲廓額(ごめろうくしゆじゆみんもう)等の五十二類の、一類の数、大地微塵をもつくしぬべし。いはんや五十二類をや。この類皆華香(みなけこう)衣食をそなへて、最後の供養とあてがひき。一切衆生の宝の橋をれなんとす。一切衆生の眼(まなこ)ぬけなんとす。一切衆生の父母主君師匠死(し)なんとす。なんど申すこえひびきしかば、身の毛のいよ立(たつ)のみならず涙を流す。なんだをながすのみならず、頭をたゝき胸ををさへ音(こえ)も惜まず叫びしかば、血の涙血のあせ倶尸那城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。これひとへに法華経にして仏になりにしかば仏の恩の報じがたき故なり。
このご遺文は、多くの弟子、信者、そして動物にいたるまでが釈尊が涅槃に入ったことを悲しみ途方にくれる様子を伝えています。
涅槃のまさに“その時”が目に浮かぶようで、釈尊という存在がいかに偉大で大きなものであったことがよく分かりますね。