立正安国・お題目結縁運動 いのちに合掌

文字サイズ
標準
拡大

東海道と中山道が出会う街、草津宿にあるお寺

法性山 圓融寺(円融寺)

【Hosshozan Enyuuji】

525-0034 滋賀県草津市草津一丁目5-24

ごあいさつ

法性山圓融寺(草津 円融寺)は、旧東海道五十三次の宿場町である草津宿にて、本山立本寺(京都市上京区)第12世教蔵院日生尊者を開山とし、行寂院日元大徳を開基として、文禄2年(西暦1593年)3月28日に創立されました。
はじめはお墓のそばにある小さな庵ほどのお寺であったと伝えられています。
江戸時代を通じて幾度も火災や水害などの難に遭い、たびたび消滅の危機に瀕していましたが、歴代の檀家の援助や当地に陣屋を置いていた旗本斎藤家の庇護もあり、そのたびに復興を果たしてきました。  
今日まで多くの困難な出来事はありましたが、400年の長きにわたり法灯を連綿と受け継いで、草津の地でお題目を唱え続けることができました。
これもひとえに歴代の檀信徒をはじめ、多くの皆様の信心とご尽力の賜物です。
これからも謙虚さを忘れることなく、ご先祖様、お聖人様、そして皆様へ感謝の心を伝えていきます。
       合  掌

   
  
旗本斎藤家と圓融寺
斎藤家は近江国栗太郡、野洲郡、蒲生郡の三郡内で六千石の知行地を治めていた大身の旗本であり、その陣屋(大路陣屋)は現在の草津市大路にありました。旗本斎藤家の初代・三存(みつなか)は「敵は本能寺にあり」で有名な明智光秀の重臣、斎藤利三の五男でした。本能寺の変にて斎藤利三が羽柴秀吉に討たれ斎藤家は没落しましたが、その末娘にお福(春日の局)がいました。のちに三代将軍徳川家光の乳母となり、大奥で絶大な権勢をふるいました。春日の局の願い出により斎藤家の復興は許され、兄の一人であった三存は下総国香取郡に二千石の知行地を与えられ旗本に取り立てられました。その後子孫の代で知行地替えを経て近江国に移ってきて以来、当山は斎藤家ゆかりのお寺となりました。
  
春日の局や斎藤家歴代のお墓は東京湯島の麟祥院(臨済宗妙心寺派)に祀られていますが、十代目鋳之輔三義(かずよし)は当山に埋葬されています。三義は、幕末の江戸幕府で外国奉行や勘定奉行などの要職を務めた、斎藤三理(かずみち)の嫡男でした。三義は大路陣屋の地頭を務め、当山に深く帰依していました。明治2年に15歳の若さで京都の北野天満宮社内の神光坊にて亡くなり、当山に埋葬されました。法号は功徳院殿殊勝三義日眼大居士。

        
参考文献: 草津市史、野洲町史、斎藤家墓碑、当山過去帳

基本情報

寺院名称 法性山 圓融寺(円融寺)(ほっしょうざん えんゆうじ)
住所 525-0034 滋賀県草津市草津一丁目5-24
電話番号 077-562-0916
お問い合わせ先 kusatsu.enyuuji@gmail.com

このページの先頭へ

日蓮宗公式スマートフォンアプリ 「合掌の証」

スタンプ機能付きナビゲーションアプリ

外国語 de 国際体験

海外でボランティア/布教活動を体験してみたい!

みのぶ山 観光情報サイト みのぶガール

みのぶ山 観光情報サイト みのぶガール

日蓮宗新聞社 ウェブショップはこちら

日蓮宗新聞社ウェブショップはこちら

日蓮聖人門下連合会 公式サイト

日蓮聖人門下連合会 公式サイト

Copyright (C) Nichiren Shu. All rights reserved.