令和3年のお正月を迎え、梅津本福寺では元旦に新年祝祷会、8日に年間祈祷会、と恒例のお正月行事を執り行いました。いつもですと年末の慌ただしさから開放され、晴れやかな気持ちにひと時ひたることができますが、コロナ禍のもと法要の様子も例年とは様変わりしました。
新年祝祷会では、昨年来のコロナ禍対応形式により本堂での法要は住職と修徒の2名で執り行い、例年の元旦法要・新年祝祷会での新年を寿ぐ雰囲気と打って変わって、何とも憂鬱で頼りなげな気分が漂う元旦でありました。檀信徒の皆様は各々都合の良い時間に本堂正面入口で焼香・参拝に来られていましたが、いつも以上に身体健全、家内安全の願いを御本尊にお祈りされているように感じられました。
年間祈祷会では、当山住職を含む僧侶3名すべて大荒行五行皆伝の修法師により執り行いました。氷点下の寒風吹きすさぶ中、水行を行って心身を清めた後、昨年一年間ご守護いただいたお札やお守り等のお焚き上げ供養を行い、その後、本堂祈祷壇において参拝者に対して秘妙五段の加持祈祷を行いました。今年はコロナ禍対応として修法師が呪文を唱えながら参拝者に触れる動作を簡略化した加持祈祷となりましたが、新年にあたり御本尊に額ずき祈りを捧げ、神妙に御祈祷を受けられる檀信徒の姿は法要の形云々を超えた尊いものに思われました。
日蓮聖人も「重須殿女房御返事(おもんすどのにょうぼうごへんじ)」という御遺文の中で、お正月に法華経に信仰の心を捧げることの功徳の大きさを強調しておられます。以下に、その箇所を示します(「重須殿女房御返事」の末尾部分・・・日蓮宗電子聖典より転載)。
(原文)
今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし。今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ。これをもつてをもうに、今また法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。
(現代語訳)
いま、あなたの、正月の始めに法華経をご供養申し上げようとなさるお心は、つまらない木に美しい桜の花が咲き、汚ない池に蓮華がつぼみをつけ、雪山の栴檀が雪を割って育ち、月が始めて山から出るように、あなたご自身によい果報をもたらすでしょう。今、日本国の人々は、法華経を敵としたために患わずらいを千里の外から招き寄せてしまいました。このことから推し測ると、今、法華経を信じている人は、幸せを万里の外から集めることでしょう。影は体によってできるものですが、法華経を敵とする人の国は、体に影が付き添っているように、患いがいつもつきまとうことでしょう。その反対に、法華経を信ずる人は、ただでさえ香りのよい栴檀にいっそうの香ばしさを添えたように、すばらしい功徳を得られることと思います。
ここで注目すべきは「今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ・・・」のお言葉です。今のコロナ禍をどう受け止め、どう行動すればよいのか、日蓮聖人の厳しい化導の声が時を越えて現代に生きる私達の心に突き刺さります。