梅津本福寺では、年頭の行事として毎年、元旦の新年祝祷会に引き続き1月8日に年間祈祷会を執行しています。
京都市内では今年は年明け以降、すっきりしない天候が続いています。8日(水)も朝方に雨が降り、参拝者の足が遠のくではと心配しましたが、昼前には曇り空に変わり、予定通り午前11時から祈祷会を始めることができました。
この祈祷会では、檀信徒等が予め申し込んでおいた願意を叶えるべく、日蓮宗大荒行を修した僧侶(修法師、しゅほっし)が水行を行って心身を清めた後、秘妙五段と呼ばれる加持祈祷を行います。祈祷後、参拝者はご祈祷を受けたお札を持ち帰りますが、僧侶(当山住職)は今後1年間参拝者の願意がご守護神(祈祷本尊願満鬼子母尊神)に届くよう毎日ご祈祷を続けることになります。
さて、アップした写真の中央部分に写っているものは何なのかお分かりでしょうか。僧侶が水行に使う水行桶(おけ)です。これを使って水行場の水槽の水を汲んで、その水を頭からかぶります。写真ではこの桶が逆さに立て掛けてありますが、これは水行の後、水を切るためです。この桶本体の上半分(写真では逆さなので下半分)に「不染世間法(ふぜんせけんぼう)」と書かれているのが確認できます。これは肝文(かんもん)と言う、水をかぶる前に誦するお経の文で、水行の目的となどを法華経の経文から選び出したものです。さらに、写真では見えていない桶の反対側には「如蓮華在水(にょれんげざいすい)」と書かれています。この「不染世間法 如蓮華在水」の経文は以下に示すように法華経の従地涌出品第十五に出てくる一文です。
(原文)
不染世間法 如蓮華在水
(書き下し文)
世間の法に染まらざること 蓮華の水に在るが如し
(現代語訳)
俗世の垢にまみれることない姿は、蓮の花が泥の中から咲くのと同じです
これは菩薩の姿を蓮華に譬えた経文です。覚りの世界に入ってしまうのではなく、悩める衆生がうごめく泥沼の現実におりたちながらも、俗世に染まることなく衆生救済にはげむ菩薩の姿を表しています。
水行肝文は「不染世間法 如蓮華在水」のあとも長々と続きますが、肝文全体の意味を考える上で重要なのはその直ぐあとに続く「得聞此経 六根清浄」です。この経文は法華経の常不軽菩薩品第二十に出てくる一文です。
(原文)
得聞此経 六根清浄
(書き下し文)
この経を聞くことを得て 六根清浄なり
(現代語訳)
この法華経を聞くことができて 眼、耳、鼻、舌、皮膚、心の六つの感覚器官、即ち身心のすべてを清められた
これは常不軽という名の菩薩が前世で臨終を迎えたとき、法華経を聞くことができて心身が清められたというエピソードを示す経文です。
以上の二文を合わせた「不染世間法 如蓮華在水 得聞此経 六根清浄」の肝文は、僧侶として悩める衆生の切なる願いを受け止めて鬼子母尊神に法華経信者のご守護を請うにあたり、菩薩としての自らの使命を再確認し、水行により身心のすべてを清めますよ、という宣誓文なのです。