お会式桜に思いを馳せる・・・令和元年お会式@梅津本福寺

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  令和の時代になって初の本福寺・お会式が11月3日文化の日に執り行われました。三連休の中日とあってか、昨年より多くの檀信徒が参拝に訪れました。

   ところで、お会式という言葉を聞くと「お会式桜」を最初に思い浮べる人が多いのではないでしょうか。「お会式桜」は日蓮聖人ご入滅時に起こった故事に由来します。弘安5年10月13日(旧暦)に日蓮聖人がお亡くなりになられた時、逗留されていた館の庭の桜が時ならぬ花を一斉に咲かせたと今に伝わっています。この時ならぬ花を咲かせた桜が「お会式桜」です。

   旧暦の10月13日は、今年でいうと11月9日に当たります。日蓮聖人ご存命の鎌倉時代においても、この時期には桜の花が咲くはずはないと捉えられていたのでしょう。「お会式桜」という言葉は、日蓮聖人という偉大な宗教家のご入滅が起こるはずのない自然現象つまり奇跡を起こしたことを表していると考えられます。別の言い方をすると日蓮聖人の希に見る偉大さを象徴する言葉なのです。当然、そのような奇跡は二度と起こりません。現代の我々が行うお会式の法要に供えられる桜は造花であります(写真)。

   ここで、「お会式桜」に関連して、あまり知られていない興味深い事実を紹介したいと思います。

   実は、日蓮聖人ご入滅の旧暦の10月中頃に花を咲かせる桜の品種・系統がいくつか現存しています。現代の日本において普通に見ることができる桜としては、春咲きのソメイヨシノが圧倒的に多いため、桜といえば春に咲くものだと思い込んでしまっているだけなのです。桜は本来、開花時期の違う系統を多く含む植物種なのです。その一例として、日蓮聖人ご入滅の地である池上に建つ大坊本行寺のホームページを見ますと、時ならぬ花を咲かせた桜は「お会式桜」として敷地内に現存して今も時ならぬ花を咲かせているとあり、その写真も掲載されています。おそらく秋咲きの系統だと思われます。ただし、樹形を見るかぎり、日蓮聖人ご存命の時代から800年近くの樹齢を保っているのかというと疑問は残ります。もしその桜の木が鎌倉時代に本当に植わっていたとするなら、接ぎ木や挿し木で継代されてきたものではないかと思います。

   さて、「お会式桜」が「春咲き系統が秋に時ならぬ花を咲かせた現象」ではなく、「秋咲き系統の開花」であったとしたら、日蓮聖人の偉大さを象徴する「お会式桜」の奇跡が色褪せてしまわないかという懸念も生じそうですが、どうなのでしょう。ここでは、当時から名声を博していた歌人・西行法師の和歌をもとに、秋咲き系統を前提にした「お会式桜」に考えを巡らしてみたいと思います。

   まず、山家集巻上に収められている西行法師の有名な和歌を以下に示します。

(原文)
   ねかはくは花のしたにて春しなん、そのきさらきのもちつきのころ

(現代語訳)
  もし願いが叶うことなら、春、桜の花の下で、しかもお釈迦様ご入滅の旧暦2月(きさらぎ)15日の満月の頃に死にたい。

   西行は桜と月をこよなく愛し、多くの和歌を遺しています。桜の咲く頃、しかもお釈迦様ご入滅の旧暦の2月15日の満月の頃に死ぬことを願ったこの歌のとおり、西行は2月16日に亡くなりました。その死に様は当時の人々に感動を呼び起こし、この歌は日本人の自然観と仏教による生死観が渾然一体に表現されているものとして大いに評価されていました。

   西行は平安末期から鎌倉初期に活躍した当代一流の文化人でした。少し時を経た日蓮聖人の時代の人々にもこの歌は知れ渡っていたと思われます。ましてや篤信の仏教徒であればこの歌に対して共感するところ大であったと想像されます。加えて2月16日は、くしくも日蓮聖人ご生誕の日でもあります。日蓮聖人の傍に仕える弟子や檀越が春と秋と季節は違えども、この歌に特別の縁(えにし)を感じたとしてもおかしくはありません。「お会式桜」は日蓮聖人ご入滅の時に咲いていた秋咲きの桜と素直に考え、典型的な日本人の自然観や生死観を感じさせる穏やかな死に様を象徴するものと捉えたいのですが、皆様は如何でお考えでしょうか。

 

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