日蓮聖人の御命日である本日10月13日、篤信の檀信徒が集い、本福寺本堂でお会式法要を執り行いました。秋晴れの京都洛西の地に報恩のお題目・読経の声が響き渡りました。
さて、今年のお会式は平成最後のお会式となります。そうそうはない節目にあたりますので、普段はあまり深く考えていないという反省も込めて、お会式の意味を改めて考えてみたいと思いました。
日蓮宗の僧侶や檀信徒にとって、お会式というと日蓮聖人の遺徳を偲ぶ報恩の法要というのが一般的な認識ですが、今一歩踏み込んで、日蓮聖人が後世の我々に伝えようとされた「妙法」とはどういうものだったかという視点からお会式を考えると、どうなるでしょうか。
ただ単純に心の中で日蓮聖人を偲ぶというのではなく、我が心の中の菩薩界におわします上行菩薩としての日蓮聖人に出会う機会と捉え、今現在この時の現実として日蓮聖人を実感できるかという少々哲学的ともいえる問いに行き当たります。これに対する答えはそう簡単には出ませんが、お会式だけでなく日々向き合うべきテーマであるように思われました。