当山中興唱謙院日随上人第八十一回忌

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 なかなか書き始められないままに、時間だけが過ぎておりました。
 今日は、当山中興唱謙院日随上人の第八十一回忌の祥当です。明治になり、徳川家からの供養がなくなって衰退していた眞福寺を伏見鷹匠町から現在の所在地である桃山町鍋島に移転させ、本堂その他諸堂を整えられた中興の祖は、昭和15(1940)年4月19日に遷化されました。
 桃山御陵(明治天皇陵)のお隣という最高の立地を得る際には、軍関係、皇室関係の方のご協力もあったようで、戦前は、皇室関係の方のご休憩所であったと、日随上人の血筋に当たられるご長寿の檀家様から伺いました。門前の道は、御陵にお参りする軍人のために設けられていた専用の駅舎から御陵に向けて作られたもので、行進する軍人さんたちは、眞福寺本堂の『立正』の扁額に敬礼をしたそうです。その本堂も間もなく築90年を迎えます。
 朝一番にお墓にお花を供え唱題して、朝勤の際に嘆徳ご回向させていただきました。

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 コロナウイルス肺炎の危険が迫っています。コロナウイルスに克つために、檀信徒関係各位にお送りしようと書いた文をここに添付しておきます。ご照覧いただければ幸いです。

 

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