東北訪問 2日目

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ボランティアの記事の続きです。
 
3月11日は、午前中に仙台から石巻へと車を走らせ、神奈川県と石川県の日蓮宗青年会の方々と合流し、石巻市内にある津波の被害を受けた門脇小学校の周辺を、団扇太鼓をたたき、お題目を唱えながら歩きました。
本来であれば家屋が立ち並んでいたその場所は、がれきの撤去は殆ど終わっていたが、辺り一帯に生い茂った雑草が広がり、その合間から家の土台であったコンクリートが見え、冷たい風が強く吹き抜けていました。我々の唱えるお題目はその風に負けないように、自然と大きくなっていました。
 
昼すぎに、神明山法音寺さまで執り行われる東日本大震災三回忌慰霊法要に式衆として出仕いたしました。法音寺さまは石巻市内の小山の上に建っており、震災時は避難所として多くの被災者を受け入れられた御寺院です。三回忌法要には約100人の参列者がこられ、共に謹んでご冥福をお祈り致しました。
 
引き続き、少し車で移動し、石巻漁港にほど近い所に建つ慰霊塔で執り行われる開眼法要に出仕しました。こちらの慰霊塔は、横浜市妙法寺の久住上人が発起人となり、津波で流され傷ついた題目碑を修復し、新たに震災にて尊い命をなくされた2万人の方々を慰霊する塔として建立したいという思いから、全国各地の寺院や檀信徒の皆様からの浄財を募り、建立されました。
開眼法要後、導師を勤められた法音寺の住職谷川上人は『この慰霊塔は、亡くなられた方々への供養になると共に、残された遺族や地域の方々の心のよりどころとなります』と仰られました。
供養はもちろんの事、残された遺族への心の復興も僧侶の使命であると、改めて強く実感しました。
 
皆様と別れた後、再度石巻市内の沿岸部周辺で行脚し、お経をあげさせていただきました。
 
震災が起こった年の9月に、私は石巻を訪れましたが、今回目に見える形で変わっていたものは、震災によるがれきが処理されただけなように思いました。復興として、2年はまだまだ短く、これからも自分自身の出来うる限りの事をしていく必要がるように感じました。
ただ変わってないものもありました。亡くなられた方への供養をする姿と復興への思いでした。この思いが風化することが一番危険なことで、これから先も個人個人が被災地へ寄り添う気持ちを持ち続けてる事が大切だと思いました。

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