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日蓮大聖人御真骨奉安

西身延 本山 妙傳寺

【myoudenji】

606-8352 京都市左京区東大路二条下ル北門前481

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ごあいさつ

  当山は、円教院日意聖人によって1477年(文明9)に開創された日蓮宗の本山であり、京都八本山の一つであります。
 はじめ京都一条尻切屋町に建立され、身延より宗祖日蓮大聖人の御真骨を分骨奉安し、同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置しました。ゆえに「西身延」と称され、関西以西の日蓮宗信者はこぞって参拝したと伝えられています。
 しかし天文五年(1536)に起こった天文法難により、全山悉く灰燼に帰してしまいます。天文十年(1541)に新たに西洞院に再興し寺観を整えたのですが、天正十九年(1591)豊臣秀吉の命により京極二条の地に移転を命じられます。時の貫首、第六世・慈眼院日恵上人は逆境をものとせず布教活動に邁進され、前にも増して山門は興隆したと伝えられています。この時、一条家・四条家の菩提寺となり、日恵上人は妙傳寺の中興の祖と仰がれています。
 第八世には有名な心性院日遠上人が猊座に就かれ、第十四世には勇師法縁の縁祖である法性院日勇上人が歴世となられます。日勇上人は学徳高く、後水尾天皇の皇后・東福門院より金紋袈裟を賜ります。また、山科の地に護国寺を開創し、山科檀林を開かれました。第十六世には寂遠院日通上人が歴世に就かれる等、隆盛を極めます。
 ところが、宝永五年(1708)に、宝永の大火が起こり、全山再び灰燼に帰してしまいます。第二十九世・住心院日義上人は、現在の東大路二条に再興し、第三十五世・了遠院日勤上人は、説法一万座に及び、浄財を勧募し現在の本堂を建立されました。
 以来、開山日意上人より五百数十年の間、身延門流の直系、京都の触頭。本山としての威容を保ち、勇師法縁の縁頭寺院として現在にいたっています。
                                                                               法鏡山 妙傳寺

 

 

基本情報

寺院名称 西身延 本山 妙傳寺(みょうでんじ)
住所 606-8352 京都市左京区東大路二条下ル北門前481
電話番号 075-771-2088

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