先の章である従地涌出品では、地より数え切れないほどの菩薩が涌き出でます。その菩薩をお釈迦さまは「弟子である」とおっしゃいました。そこで弥勒菩薩さまは「お釈迦さまの御生涯の年数では、この人数の菩薩を導くことはできません。どのように導いたのですか」と質問されて終わります。
お釈迦さまがすべての弟子に「お釈迦さまの寿命は永遠であり、遠い過去から人々を導き、また遠い未来の布教も永遠である」と説かれます。ですから数多くの菩薩たちを導くことができたのです。
しかし、この後あえて死を示し姿を隠されます。なぜ姿を隠すかというと、常にお釈迦さまがそばにいると、人々はお釈迦さまに甘え、助けてもらうことを願うばかりで、努力をしないからです。死を示すことでお釈迦さまに会いたいという思いが生まれ、弟子たちは身命を惜しまず努力するのです。そのように努力する弟子の所には、お釈迦さまは姿を現し法を説かれます。
お釈迦さまは、人々がどのように努力するかを知っておられ、人に応じて色々な最適な法を説いてこられました。お釈迦さまは、常に人々が速やかに成佛できるかを考えているのです。
常にお釈迦さまが見てくださっていると思うと、安心するとともに背筋が伸びる思いです。