長野県東筑摩郡麻績村に、穴水祖師堂という日蓮聖人の御尊象をまつるお堂がある。
◎パワースポット 穴水祖師堂Ⅰ
昭和57年9月の台風18号は、洪水、千曲川の支川樽川が決壊、被害家屋約6,000戸の大災害をもたらした。このとき長野県道12号丸子信州新線は各地で樹木が倒れ、穴水祖師堂脇の滝も大増水した。大きな岩や石が滝壺や川を塞いだ。 穴水祖師堂には大きな岩が壁を打ち破って転がり込んだ。お堂は滝壺の増水で流され東側に3尺(約90センチ)平行移動した。そのおかげで逆に、滝上から落ちてくる土砂に破壊されることを免れた。また堂内に入り込んだ岩のおかげでそれ以上流されずにすんだ。後日ずれて基礎がなくなったところだけ基礎を作りそのままの形で修復した。今でもお堂の天井を見上げると、その時の泥が付着している。 以来厄除けの祖師の名をもって参拝する者多し。
◎パワースポット 穴水祖師堂Ⅱ 先日信徒のある女性が、「ここへ行って来ました」と言ってスマートフォンの写真を見せてくれた。それはこの穴水祖師堂の写真であった。「よく行ってきましたね。ここを知っていたのですか。」と聞くと意外な答えが返ってきた。 「家出して車を1時間半も走らせると、道のカーブのところに小さなお堂が見えた。何か吸い寄せられるように、車から降りて上っていくと滝があった。その岩肌には石仏が彫ってあった。お参りをしてお堂も参拝した。気持ちも落ち着いてきた。お堂の額を見ると「聖山」の字が何となく見たことのあるような字であった。石段を降りてきて穴水祖師堂とかかれた門柱を見るとウラに、建立者 妙光寺 宮淵泰存と書いてあった。 これは家に帰れと言うことだなと思って帰宅しました。」ということでした。 これは穴水祖師堂の春祭りに私が行った数日後の話でした。
《穴水祖師堂の由来》 場所:長野県東筑摩郡麻績村日桑関穴水 私の兼務する寺院・筑北村の日蓮宗信行閣教会の境外仏堂 江戸時代の初め越後の国柏崎の高僧が、紀州熊野神社に参拝する途中、清水のわき出でる穴清水に休憩された。巖山清流眺望がとても良い所なので、ここに草庵を結び日蓮聖人の祖師像をお奉りして長く滞在したという。土地の人々はこの僧の徳の高さを慕い伝え、「聖様」「聖人様」とお呼びするようになった。 「聖山」の名前は、ここより起こるという。後、柏崎の信徒この僧を迎えにきて伴い帰ったが、その後も「聖山/\」といって、この地に参詣する人が多かったという。 江戸時代中頃より、この地の滝で修行する人が出て、滝の岩に磨崖仏を彫り、自らの罪障消滅と国土安穏を祈った。 堂内の天井画は、平林太右衛門作である。
◎穴水祖師堂(映像で紹介) 春
◎穴水祖師堂(映像で紹介) 冬