3月16日、日蓮聖人経石塚と道善房供養塚の顕彰活動

開催日:2024年03月16日

日蓮聖人が御年26歳(宝治2年 1247)の時、日蓮聖人の心願により妙経一部を一字一石に書写して埋蔵した場所があります。君津市加名盛と高水の二ヵ所です。
日蓮聖人は、その時、高水村の藤井図書(とがき)氏に出会い、どこかの山頂へ経石を埋めて国家と万民の安泰祈願をしたいとの願いを話したところ、「ぜひうちの山へどうぞ」ということで高水村まで来られましたが、隣の上関村(現:加名盛)の本吉藤太夫正久氏の山が、より適地なりと感得せられ了承を得て、同年7月13日に埋蔵し塚を築いて祈願をされました。以来、その山頂より光明を放った。と本吉家に残る古文書『道善房塚縁起』に伝わっています。(高水の経石塚は、その後に埋蔵されたと推察されます。)
加名盛の地は「朝日の祖師」高水の地は「夕日の祖師」とも呼ばれています。
写真は、「音」と書かれた経石です。昔、経石は沢山あったと伝わっていますが、盗掘され現在は掘ってもないそうです。

さらに、この加名盛の地は、建治2年(1276)3月16日、日蓮聖人のお師僧様の道善房が入寂された後に、供養のための塚(※注)を築いたところでもあると伝わっています。
日蓮聖人は、建治2年7月21日に『報恩抄』を撰述し、同26日には『報恩抄送文』を記し、弟子の日向上人と日實上人を清澄に遣わして『報恩抄』を諷誦してのご回向を命じました。しかし、当時の清澄寺は東條一族の影響が強かったため、それが許される状況ではなかったようです。
日蓮聖人は、そのことも見透して『報恩抄送文』に「報恩抄は、さらに二遍三遍は嵩森(たかもり)にて誦すべし」と命じられていました。翌建治3年(1277)3月3日に上関村の本吉藤太夫正久の所有する嵩森に宗祖の名代として中老僧日實上人が道善坊塚を築き、正久山弘妙院妙長寺を建立したと伝承されていると『道善房塚縁起』に記されています。
この『道善房塚縁起』は、東京の池上本門寺の六世である延命院日行上人によって書かれています。

当然のことですが、日蓮聖人が誕生されご修行をされ立教開宗された千葉県には日蓮聖人が歩まれたゆかりの地が数多くありますが、この地を訪れて頂き静かな山道を歩かれると、日蓮聖人ご在世の当時のそのままか?とも感じられる場所です。

※注:当所は、道善房の供養塚であり、お墓(御遺骨)は大本山清澄寺の境内にて祀られています。(昔は、埋め墓と拝み墓という祀り方がありました。それに習った供養塚といえるでしょう。)

ご案内:県道24号線の君津市加名盛「六区西部青年館」の前から案内看板で現地へ案内しております。
案内看板5枚目から先は林道となり未舗装が多いです。普通乗用車は5枚目看板の「番神堂」付近に駐車して徒歩でお参りください。
林道を約400m進むと入口となります。
入口から登ると祖師堂、記念碑、納経供養塚などが整備されており、さらに山頂には道善御坊の供養塚が建立されています。

千葉県西部宗務所では昨年10月27日に顕彰活動として報恩法要を営みました。
また、本年​令和6年3月16日は、道善御房の第749遠忌祥月命日です。
君津市浦田・妙長寺では 当日 報恩法要を営みます。

興味のある方、ご参拝ください。
お問い合わせは、君津市浦田295の妙長寺様(TEL 0439-27-3309)へ、お願い申し上げます。

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