親子が向かい合うということ。

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本日は、四十九日法要を勤めさせて頂きました(。-人-。)

法話として、

『子どもに迷惑をかけない』

というのが、年老いた親御さんたちの定番。

なので、成人されたお子さんたちにお訊きしました。

「皆さん、ご自身の父母の老後の面倒や葬儀を行うのを迷惑だと思いますか?」

お子さんたち、皆さん、NOでした。

私たちは、オギャアと産まれたら、後は死ぬまで生きてまいります。

親子が向かい合うって、どういうこと?

私たちが、オギャアと産まれてからオムツやらなんやら親に世話を焼いて頂きました。

そして、年老いて足腰が立たなくなって、寝たきりになって、オムツやらなんやら子どもたちの世話になります。

皆さんは、自分自身の最期をどう迎えたいですか?

親子共々、互いに相手に世話になったなあ。

有り難かったなあ。

そんな風に思いながら私は満足して安らかに死にたいです。

親子が向かい合うって、

親に世話になった。

子どもに世話になれた。

そんな風に自然と素直に何の違和感もなく互いに想い合える関係性が持てることではないかな、と。

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