LINE法話「自分を捨てて」

おはようございます。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

私達が、毎日を幸せに暮らしていく上で大切なものがございます。
具体例をあげますと家族、友人、住まい、財産など人によって様々でございます。しかし、すべての人にとって、自分の命に勝る大切なものはありません。そんな大切なものについて仏教ではこんなお話がございます。

昔々、インドのとある国に雪山童子という男の子がおりました。彼は人々のためになることなら、どんな苦労をもいとわないで、自分自身を犠牲にして、様々な苦行をしていました。

ある日、まだ雪の残る山の方から大きな声が聞こえてきました。雪山童子は声のする方へと尋ねていくとそこには大きな鬼が仏様の教えを説いておりました。雪山童子はその教えの続きを聞こうと息を殺して待っておりましたが、鬼はそれ以上一言も発しません。

そこで雪山童子は鬼に向かって「どうか仏様の教えをお聞かせ下さい」と声をかけました。すると鬼は「腹が減っているのでこれ以上声が出ない。何か食べ物をくれ」と言いました。それを聞いた雪山童子は果物や木のみを集めて鬼に差し出しましたが、「そんなものはいらん」と突き返されてしまいました。
「では何が食べたいのですか?」と尋ねると「お前が食べたい」と鬼が答えました。

雪山童子は仏様の教えの続きを聞きたいと願うが故に自分の身体を鬼に捧げる事を約束し、鬼に教えの続きを説いてもらいました。そしてその教えを岩肌にしっかりと書き留め、目の前の高い木に登り、鬼の横の岩めがけて身を投げたのです。

ところが岩に落ちる前に、鬼は帝釈天に姿を変え雪山童子を受け止め助けたのでした。実は帝釈天が鬼の姿に変身していたのでした。
この雪山童子はお釈迦様の過去世のお姿であり、仏様の教えのために我が身を捧げたこの行為の功徳によってインドでお覚りを開かれたのであると伝わっております。

日蓮聖人は『事理供養御書』というお手紙の中で「此れ等の賢人、商人の事なれば、我等は叶いがたき事にて候。ただし仏になり候ことは、凡夫は、志と申す文字を心得て仏になり候なり」と述べられております。

自分の身体を捧げ命を惜しまないということは特別な人達には出来ても、我々のような普通の者にはなかなかできる事ではございません。
しかし、志というものをしっかりともって生きれば誰しもが仏様と同じ心持ちとなり、成仏ができるとお釈迦様、日蓮聖人はお説きになられておられます。

この志というのは仏様のお手伝いをしよう。仏様だったらこうするだろうという事を実行していく事です。個人の幸せを願うのではなく、御題目、南無妙法蓮華経を唱え、すべての人の幸せを願うことこそ、成仏への第一歩なのです。

まずは今日一日だけでも自分の事はあまり考えず、相手の事を考え、過ごしてみてはいいかがでしょうか。きっといつもとは違う景色が見えてくるかもしれませんよ。

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