おはようございます。皆様、いかがお過ごしでしょうか?
春の訪れと共に気温も暖かくなっていき、とても穏やかで過ごしやすい日々ではないでしょうか?しかし、新聞やニュースでは政治家による裏金問題が日々報道されております。
人は自分の私利私欲の為に罪を犯してしまい、また、意図せずとも罪を犯してしまう事も多々ございます。
しかし、重要な事はしてしまった後にいかに懺悔し、行動していくかでございます。
仏教ではこんなお話がございます。
お釈迦様がお亡くなりになられてから約百年後のインドのお話です。
ある町のひときわ立派な家にマハーデーバという若者が住んでおりました。彼の父親は貿易商で、ある日遠いところへ旅に出ていきました。家には彼と10歳ばかりしか年の違わない若くて美しい母親の二人しかいませんでした。
マハーデーバはこの美しい母親が大好きで、愛しくてたまらないこの母親を恋人のように思い慕っていました。そして、いつのまにか本当の恋人になってしまったのです。
そんな母親と二人きりで過ごす日々はまさに夢のようでした。
ところが父親が帰ってくる日がやってきました。普通の家庭であれば、帰りを喜ぶところですが、今の彼と母親には邪魔な存在でしかありません。
とはいえ実の父親であり、尊敬する父親です。彼は悩み苦しみ、悶々とする日々を過ごしました。
そんな中、ある晩に彼は尊敬している父親が愛しい母を抱いているところをみてしまったのです。いくら母親への愛が理不尽なものであるとわかっていても、心に湧き上がる苦悩は隠せるわけもなく、母親への愛情はいつしか父親への憎しみに変わっていきました。
そして彼は剣を持ち出して父親を殺してしまったのです。
それをみていた母親は凍りついたように立ちすくんでおり、彼は母親を連れて誰も二人のことを知らない遠い町まで逃げました。
しかし、すでに母親は正常さを失っており、殺害現場のことしか脳裏になく、話す事はそのことばかりでした。そんな母親を周りの人はおかしな人だと馬鹿にしていました。
ところが、一人の僧侶が彼女の話を聞き、なんとか救いたい、仏様の世界に導きたいと考えました。
しかし、そんな様子をみていたマハーデーバは僧侶と母親の様子に激怒し、気がつくと二人を石で殴り殺していたのです。
我にかえった彼は愛しい母親と尊い僧侶の姿を見て、後悔の念にかられたのです。尊敬する父親を殺し、愛しい母親を殺し、そして尊い僧侶を殺した罪は決して軽いものではなく、マハーデーバは罪を償う決意をし、自ら死刑を甘んじて受け、地獄で苦しむ覚悟をしました。
その前にせめて一言でも謝りたいと修行するお坊さんが集まる精舎へと訪れたのです。
そして精舎の老師の元へ行き、彼は今までの出来事を懺悔し、罪を償う覚悟を伝えました。
そこで老師は死をもって償うのではなく、共に修行して償うことを説きました。彼は懺悔の思いから毎日毎日、一心に修行をしました。自分と向き合い、そして犯してしまった罪と向き合うことによって自身も救われていったのです。
人は誰しも大小様々な罪を犯してしまうものです。その罪に対していかに向き合い、懺悔し、行動していくのか。
日蓮聖人は「光日房御書」におきまして
「小さな針も水に沈む。このように小さな罪でも地獄に落ちる因縁となる。大きな船でも水に浮かぶ。このように大きな罪でも懺悔すれば救われる」とお説きなされております。
どんな人であっても懺悔すれば仏様は必ず手を差し伸べて下さる存在です。改めて自分を振り返り、大小犯してしまった罪を目を背けずしっかりと見つめ、考えてみてはいかがでしょうか?