本眷山 浄光寺 資料室 記事公開日:2020年09月01日 この記事は最終更新日から1年以上経過しています。記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。 ◆住所 山形市八日町2-4-35 【地図】 会津妙法寺日満上人は北方弘教の拠点として山形の吉原に法喜庵を結び開山となる。当時城主の父は重病であったが上人へ平癒を請うと病が癒え、出羽守最上義光公は報恩のため伽藍を寄進、開基となり妙法山法華寺と号したのが創立である。 第二世に江戸谷中瑞輪寺日桂上人を迎え、普光山本眷寺と改称、身延山直末となる。寛永十三年、保科正之公が城主となり、当山を母(淨光院殿法紹日恵大姉)の霊牌所となるにちなみ、本眷山淨光寺と改称し今日に至る。 この記事は最終更新日から1年以上経過しています。記事の内容やリンク先については現在と状況が異なる場合がありますのでご注意ください。 PREV NEXT 一覧へ