和合稲荷大祭 (お岩稲荷)のご案内

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開催日:2015年02月10日

お稲荷さんの祭日は初午ですが、当山ではお題目講にあわせて2月10日午後1時からお参りを致します。
(記念誌より)
参道を進み本堂の正面に立つと、左手に「和合稲荷」という提灯が下がっているお堂があります。高さ二五〇㎝(堂は一八〇㎝ )・奥行き一四〇㎝ ・左右が一一〇㎝ ほどの大きさです。手前には朱塗りの鳥居があり、内側に古い祠(左右九〇㎝ )があり、その奥に、狐に乗った荼吉尼天の像が御厨子に入って安置されています。外側のお堂は、平成五年の初午に檀家の藤代和夫さんが寄贈されたもので、銅板で葺かれた切妻型の屋根です。中の古い祠は明治三七年九月大吉祥日に板橋村・村田萬太郎さんが建てたとあります。「田宮大善神」と書かれた勧請札があることから〝お岩稲荷〟と呼ばれていました。
 イナリは「稲生り・いねなり」の義で五穀を司る農耕の神とされていましたが、中世から、農村だけでなく漁村・大名・町家・商家に至るまで稲荷神が勧請されるようになり現代では商売繁盛・芸能上達・開運などの守護神となりました。 当時〝お岩稲荷〟にお参りする人多く土地柄、漁師さん・宿のご主人・花柳界の方など商売繁盛を祈願し、特にお姐さん方は箱枕に自分の名前や生年月日・願い事を記してお稲荷様に納めたといわれ、以前本堂裏に多くの箱枕が納められていましたが、残念ながら現在は廃棄処分されて残っていません。
 旧小田原市内にあった芝居小屋に狂言の〝東海道四谷怪談〟や〝色彩間刈豆〟 などがかかる際は、役者が舞台を無事に勤め上げられるようにと、ここにお参りしたそうです。

 念の為、付言しますと、四谷怪談のお岩さんは鶴屋南北の創作で、お岩さんは苦しい家計を助ける為に奉公に出て家計を支え、その善行にあやかろうとお岩さんが信仰していた屋敷神に参拝者が集まったのが始まりと言われます。
 お稲荷さんの祭日は、毎年二月の初午となっていて、この日は、赤飯・油揚げ・お神酒を供えて祀るのは、全国共通です。御塔生福寺でも毎年二月一〇日に和讃講中の方々が集り、住職とご一緒に読経しご供養をしております。

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