平成27年9月13日午前10時 御塔坂霊跡にて
毎年正月・5月・9月にお参りに行きます。
大正のはじめ、100年前に当寺院の前身、「妙福寺」があった場所です。
先祖の苦労を思い、お参りしたいと思います。
午前9時半にお寺より車で送ります。時間までにお集まり下さい。
『日蓮聖人が文永六年(一二六九)に富士埋経の旅の帰路、相州足柄郡板橋という地にかかり(現・小田原市板橋字富士山三六三番地)、象の鼻に似た岩の上に立たれ、房総の諸岳を遠望し、故郷忘れがたく、しばし両眼を閉て妙日妙蓮へ御追福の御題目を唱えられ、石の宝塔をたて、妙法蓮華経・多宝如来・釈迦世尊日蓮などと手刻す、と伝えられています。別の説もあり文永一一年甲州遊化の後箱根路を経て帰倉の際、と同年鎌倉より身延山への旅の途次、ともあるが、小川泰堂居士の「日蓮聖人聖伝」や山川智応著「日蓮聖人」、小川雪夫著「日蓮の生涯と足跡」には文永六年で記されている。
以後、里人この地を「御塔さん」と呼び親しみ尊仰し香華の絶え間が無かったとされます。
五〇年余を経て永仁元年(弘安五年・元享二年などの説もあり)越中阿闍梨朗慶上人当地を訪れて、宝塔・本尊等を拝し、ここに一宇を創建し「象鼻山妙福寺」と名づけたとされ今日の「象鼻山御塔生福寺」の祖となります。
因みに、朗慶上人は、祖は八幡太郎義家と伝えられ、日蓮聖人から後事を託された六老僧の一人で池上本門寺と鎌倉妙本寺を中核とした日朗上人の門下の九鳳の一人です。
長い間、里人として風祭に住む方々は、日蓮聖人の徳を慕って、蓮生寺との合寺で妙福寺が移転した後も、〝御塔さん〟の世話をして下さっていました。今では御塔生福寺が、聖跡として残る日蓮聖人とご両親を模した三石像をお慕いして檀信徒と共に集まって寺の行事として、住職を中心に読誦を続けております。』