当山には蔦重のほか「実母 つよ」さん「妻 てい」さん等親族、蔦重歴代が葬られています

 今回の大河ドラマで蔦屋重三郎と同じくらい注目期待をしていたのが「実母 つよ」さん、「妻 てい」さんがどんな風に描かれるのかなという事でした。前回くらいからドラマに登場し、素晴らしい俳優の皆さんが魅力的に演じられるのを見て感動し画面に引き込まれています。

 正法寺に現在ある墓碑には以下のように刻まれています。
・○○院妙松日秀信女 寛政四 十月二十六日 → 実母つよ(津与)
・錬心院妙貞日義信女 文化八 十月十八日 → 妻てい
ここからいくつかの事が考えられることができるのではと思います。

実母 つよ に関して
1、大田南畝による「実母顕彰の碑文」中の没年により「つよ」の法号とわかる。
2、院号の2文字が欠けている(平成6年に先代住職が建立した時点で参照した資料に沿ったものと思われる。元となる資料がまだお寺で見つかっておらず、今後調べを続けることで欠けた文字、記載の字の違いなどの意味がわかってくるのでは)
3、喜多川柯理墓碑銘には「両親を呼び寄せて一緒に暮らしたが、その親も相次いで亡くなった」と記されている。蔦重の法号の隣に男女2名の法号があり天明6年の2月と9月に「相次いで」亡くなっている。この2名は身元不明だが通油町で暮らした「両親」とすると法号が別にあるのはこの女性と「実母 つよ」は別人なのか(これは想像でしかないのですが・・)
妻 てい に関して
1、蔦屋重三郎研究の第一人者「鈴木俊幸」さんの著書「蔦屋重三郎」には蔦重年表があり、そこには「木村捨三 耕書堂蔦屋重三郎(浮世絵界 第六巻八号、昭和十六年八月)」を引いて、正法寺過去帳に「錬心妙貞日義信女 文政八年十月十一日 蔦屋十三郎」とあり、法号の院の字や没年に違いが見られる。
2、過去帳が失われたことで確証が得られないが、「蔦重だけじゃなく母親、奥さん、版元歴代が入ってるんだ」と代々住職がよく言っていたこと、「貞 てい」の字が法号に見られることは正法寺が今までしてきた蔦屋家先祖代々の供養の大きな拠り所になってきた。
 参考記事 蔦屋重三郎と正法寺① 檀家としての蔦屋家
      蔦屋重三郎と正法寺② 蔦屋家墓碑について
      蔦屋重三郎と正法寺③ 蔦屋家遺骨と当山の納骨堂・萬霊塔

 以上は確かな史実というには不確かな部分もありますこと、どうぞご寛容を願います。でも少ないながらも正法寺から外に出た史料が今もあることで、色んなことを考え想像を巡らすことができるのもまた事実であります。特にNHKさんが今回の大河ドラマという「エンターテインメント」の中で登場人物に思いを馳せ想像力いっぱいに描いてらっしゃることは、蔦屋家の供養を預かるものとして本当にうれしく思います。「動く蔦屋重三郎、江戸吉原」を見せてもらえることに感謝の念でこれからも楽しみに見させて頂きたいと思います。

一覧へ