住職の(法話みたいな)ブログ 2 「法華経=嫌われる勇気?」

 「如来現在 猶怨嫉多 況滅度後」
       (妙法蓮華経 法師品第十より)
 現代語訳 この法華経を受持するものには釈迦の生きている時ですら誹謗反発が多いのであり、ましてや亡くなった後にはより多くの嫉み中傷があるだろう。

 宗派を超えたお坊さん達の仏教電話相談の仕事をしています。中でも人間関係の相談を頂くことが多く、どう答えてあげたらいいだろうと悩みながらお電話を伺っています。上のお経文、何か身も蓋もない言葉だなと思われるかもしれませんが、ここには大事な考えが含まれていると思います。

 NHKの朝ドラ「虎に翼」という番組が放送されていました。ストーリーや役者さんの魅力にとても引き込まれて毎日楽しみに見ていましたが、終わりに近づき賛否両論色んな意見を目にするようになりました。「取り上げるテーマが重い」「政治信条の押し付けは嫌だ」「朝ドラはもっとおおらかで明るい話がいい」等々。うーんそこまで言わなくてもと思ったり、自分にもそういう違和感あったかなと思ったりします。作品を作り自分を表現するには様々な意見に向き合う覚悟が必要なんだと、脚本家 吉田恵里香さんのテレビインタビューを見て思いました。

・自分の考えを主張すると受け入れられることも反発を受けることも必ずある。(当たり前ですね)
・自分の考えが自分にとって1番大事であるのと同じく、他人の考えもその人にとって1番大事であると思う。(これはなかなかできません 大抵異なる意見を恐れて、自分を押し付け相手を否定するか逆に自分を押し殺してしまいます)
・平等とか対話というのは実は「仲良くすること」ではない、ぶつかることも含めて面倒な人間関係に向き合い続ける心の強さである。(日蓮聖人は「我が身の苦難は、全ての人の成仏を平等に説く法華経を広めていることの証なんだ」と上のお経文をご自分の支えとしていました)
・嫌われる勇気=他者と関わっていく勇気

 冒頭のお経法師品にはその後に「弘経の三軌」というものが説かれます。〜〜僧侶たるもの、すべての衆生に対して大慈悲の心を持ち(如来の室に入り)、どんな迫害や困難にも耐え忍び(如来の衣を着)、あらゆるものにとらわれることなく(如来の座に坐して)、すべての者を仏となすという心を起こして、如来の事を行じていきなさい〜〜 嫌な人がいても一生懸命我慢して慈悲の心をもたないといけない、などと我々は捉えがちなんですが順番が逆で、まず慈悲(平等)の心をどこかに持っていないと他人と関わる勇気を持つことは難しいのです(不軽菩薩の精神、これについてはまた別の機会に)。

 「虎に翼」いいドラマで見てて良かったです。脚本家の吉田恵里香さんは主人公寅子のセリフ「はて?」の意図を「自分の考えを言葉にしよう、みんなと対話をしようという気持ち」とおっしゃっていました。その原動力となるのは、ドラマ「虎に翼」では法の下の平等を示す「憲法第14条」であり、我々日蓮宗僧侶にとっては一切衆生すべての仏性を説く「法華経」にあるのではないかと自分に引き寄せて考えていました。

 ※ 題名の嫌われる勇気は「嫌われる勇気」(岸見一郎 古賀史健 共著)からとりました。本屋でよく見かけるこの本が気になってこの記事を書くきっかけになりました。アドラー心理学を紹介したこの本、改めてよく読んでみたいと思います。
 

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