正法寺について

縁起
 当山は天正10年(1582年「本能寺の変」の年)に心壽院日位上人により開山されました。
 日位上人は日蓮宗中興 一如院日重上人の直弟で比叡山遊学の折に毘沙門天の尊体を感得、学頭の許しを得て関東に下向し隅田川の辺りに庵室を結びます。毘沙門天を奉安し日夜法華経読誦するところ、通りがかりの徳川家一行より天下平定成就の依願を受けて「謄精を抽んじ祈祷し」徳川の世となった暁に東照神君より寺領(現在の正法寺、東浅草の地)を賜り、日位上人の生国 越前城主松平越前守の祈祷所となりました。
 江戸中頃には祈祷の大家 唯観院日勇上人が唯観院流という修法の流派をなし活躍、江戸後期には浮世絵の版元・江戸の大文化人である蔦屋重三郎家の信仰を請けご先祖が葬られその供養菩提を今も弔っています。
 関東大震災、東京大空襲等幾度の苦難がありましたが、歴代砕身の護寺丹精が重ねられ平成6年には寺観新たとなり、毘沙門天の霊威いよいよ盛んにして法灯を現在に伝えています。(写真は昔の本堂)

開運大毘沙門天王
 正法寺は神楽坂の善國寺、芝の正傳寺と共に「江戸三大毘沙門天」の一角に数えられた毘沙門天をお祀りしています(お神輿に安置されています。トップページの右写真)。
 開山心壽院日位上人が比叡山遊学中に感得した毘沙門天像。日蓮宗祈祷勲功先師の一人である当山歴代唯観院日勇上人が江戸中期に修法教化に大きな足跡を残したことが「江戸の三毘沙」と呼ばれるようになったことの端緒の一つであろうと察せられます。戦前までは縁日には出店が立ち大きな賑わいを見せていました。
 現在は当山に残った古いお札に因み、毎月3日(毘沙門天功徳経の由来)を縁日としてご祈祷会を午後1時より行っております。

蔦屋重三郎
 当山には江戸の出版王・浮世絵の版元、蔦屋重三郎が葬られています。
 蔦屋重三郎は喜多川歌麿・山東京伝・葛飾北斎・曲亭(滝沢)馬琴・十返舎一九などの若手絵師、狂歌師を見出し、日本文化史上最大の謎のひとつ“東洲斎写楽”を世に送り出しました。2025年放送の第64作NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で主人公として注目を集めることになります。
 写真は当山にある現在の顕彰碑で、火災・震災・空襲と幾度の殉難により元の墓石を残すことが叶わなかったことは正法寺にとって悔恨の極みでありました。先代住職、佐野詮学が蔦屋家先祖累代を右に、石川雅望・大田南畝の碑文を中央に刻み、当山が灰塵に帰するたびに歴代がかき集め守り続けてきたご遺骨を左の萬霊塔に安置し、蔦屋家の遺骨の一欠片でも碑のそばに置きたいとの思いをもって供養を続けております。

室内墓地
 当山は平成6年にビル型の寺院となり3階より上階が室内墓地となっています(4階にはペットのお墓も)。
 正法寺は寺域の小ささのためその歴史の中で墓地分譲における苦労がありました(上記「正法寺について」の旧本堂の写真の左端に写っているのが当時の納骨堂。敷地の中で多くのご先祖をお預かりするため歴代は種々の苦心を重ねていました。)
 雨風の心配がなく閑静な浅草の地で、正法寺の重ねてきた歴史を大切に皆様の供養に勤めております。ご先祖の供養をお考えの方はどうぞご相談のほどお願いいたします。

ごあいさつ

 日蓮宗誠向山正法寺サイトをご覧いただき誠にありがとうございます。
 本サイトでは、正法寺の由緒・歴史、寺の年中行事のお知らせをはじめとして、仏教の基礎知識や日蓮宗の教義や地域の情報など、「お寺からこそ発信して役立てていただけるものはなんだろう」を考えながら一つ一つ進めて行きたいと思っております。
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住所

〒111-0025 東京都台東区東浅草1-1-15

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交通アクセス
① 電車の場合
 ○最寄駅 浅草駅(都営銀座線利用)
  バス(約5分)または徒歩(約15分)
  都営バス 東42−1 南千住駅西口行 バス停4つ目の今戸で下車
 ○最寄駅 南千住駅(地下鉄日比谷線利用)
  バス(約6分)
  都営バス 42−2 東京駅八重洲口行か東神田行 バス停4つ目の今戸で下車

② 自動車の場合
 ○最寄りの高速出口
  首都高1号上野線 入谷、首都高6号向島線 堤通、首都高6号向島線 蔵前
  お寺の裏側、山谷堀公園沿いに駐車場が有ります

正式名称 誠向山 正法寺(じょうこうざん しょうぼうじ)
住所 〒111-0025 東京都台東区東浅草1-1-15
駐車場 有り
電話番号 0338734488
メールアドレス shoubouji.asakusa@gmail.com