無題

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 六本木駅から法典寺
 東京山の手の市街美は坂によって作られているといえる。
麻布、赤坂、芝、高輪にはとくに坂の町が多い。
六本木から南へ下る芋洗坂も麻布の代表的な坂である。
 法典寺はこの芋洗坂の西に接している。
 法典寺を訪れるにはいろいろな方法があるが、
地下鉄東京メトロ日比谷線の六本木駅から歩くのが一番わかりやすい。
ゆっくり歩いても4~5分のところだ。
六本木交差点のそばにあるアマンドの脇を南に下がる坂、これが芋洗坂である。
芋洗坂の由来についてはいろいろな説があるが、野田宇太郎は『東京文学散歩』の中で「昔の人の言い伝えには、芋屋がそこにあったというものもあるそうだが、真偽は不明である。
それよりも坂に沿って水が流れていて、その水で芋を洗ったからだとした方が、芋洗という何ふさわしいし、イメージとして優れている」と記されている。
 確かに坂の両脇を清冽な水が流れていたと思わせる風情はある。
この芋洗坂の途中から分かれる坂が饂飩坂(うどんざか)。むかし、坂の途中にうどん屋があったのかも知れない。
 芋洗坂の両脇の町並みが江戸時代の北日ヶ窪町。法典寺は坂の上からくると朝日神社の先を西に入った右側にある。
 法典寺の諸堂宇は、太平洋戦争の空襲禍によってすべて焼失したが、山門だけは奇跡的に焼失を免れた。
 山門をくぐると正面に本堂。本堂左側に昭和59年(1983)に高さ2mの状態で植えた枝垂れ桜。本堂左手に客殿・庫裏がつづいている。
 六本木と言えば今や若者からおばさま方まで遊びに来る賑やかな東京のど真ん中の地だが、目抜き通りから2本入った法典寺境内は別世界の感がある。開創以来350余年の歴史の重みからくるものかもしれない。
 かつて、法典寺の境内には鎮守堂があり、日蓮聖人によって開眼された客人大権現が安置され、江戸庶民の厚い信仰が寄せられていた。江戸の庶民尊崇の鎮守堂であり、ぜひとも再興したいものだ。

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