尼僧になって4

終わっていく力

以前不動産会社に勤務していた時のお話です。
賃貸物件といっても様々ですが、高齢者でも入居が可能な、規制の緩い物件がありました。
高齢者の男性Aさんは朴訥ですが、生真面目で
身体のがっしりとした方でした。
ある理由から、家賃は1か月を4分割し、毎週自転車で9キロの道のりを走り、届けに来ていました。酷暑の中、危険ではないか。皆心配していました。
そんな中、入居者の全部屋の畳替えが順次、行われました。
Aさんはとても楽しみにされていて、自分のところはいつになるのかと、何度か確認をするほどでした。
そしてやっと、順番が回ってきたのは、酷暑がほんの少し緩み始めた、9月末。
しかし、畳替えが終わった日を最後に、連絡が取れなくなったのです。
Aさんは、入れ替えたばかりの畳の上で、眠るように亡くなっていました。
最後まで、几帳面で、責任感の強いAさん。
長い道のりを自転車で週4回、走り切ったAさん。誰にでもできることではありません。
人生のゴールを迎え、完走したのです。
新しい井草の香りに包まれて、ほっとされたのだな。と皆涙を流しました。
孤独死が2万人を超える高齢化社会
母の産道をくぐり抜けこの世にでた力
この世を生き抜く力 
生き抜く力は、いずれ迎える終わっていく力を養っているのかもしれません。
法華経薬草喩品には、法華経を信ずるものは、
現世では安穏な生活を送ることができ、後世では善処に生まれるということと説かれます。
Aさんに習い私も、しっかりと力を養いたい。
まだデスクにあった厚いファイルからAさんの書類を開き、そっと手を合わせました。
鈴虫が、秋の訪れを教えてくれる9月の出来事でした。

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