戦争の爪痕を訪ね手を合わせよう

空襲犠牲者供養の地蔵
基本情報
所在 小川医院付近
住所 東京都板橋区大山金井町16-8(東武鉄道 大山駅 徒歩8分)
建立者 小川忠雄
建立年 昭和25年

第二次世界大戦中の昭和二十年(一九四五)四
月十三日夜、板橋から志村の地域にかけてアメリ
カ軍による空襲がありました。この空襲は、区内
最大の羅災者約四万五千人を出し、板橋駅、区役
所、養育院など板橋区の中枢を焼け野原にしまし
た。
 この空襲で、当地の防空壕に避難していた、一
人の乳児を含む九人が、爆弾の直撃弾を受け犠牲
になったといわれています。
 戦後、当地を購入し、公衆浴場を開業した小川
忠雄氏が、先の空襲による被害を知り、供養のた
めに建てたのが、このお地蔵さまです。昭和二十
五年(一九五〇)に現在地に建てられました。八
面の胴部分に一体ずつの地蔵が刻まれ、そのうち
の一体が子供を抱いています。
 昭和四十九年(一九七四)には、覆屋(おおい
や)も作られ、現在ではまちの方々によって大切
におまもりされています。
 このお地蔵さまは、板橋区における空襲の事実
を伝え、後世に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝え
る史跡として、平成七年度、板橋区の記念物に登
録されました。

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