実相寺について

ごあいさつ

実相寺縁起について
 東日流(つがる)の朝日(五所川原市飯詰)に居館を構えていた10代高楯城城主朝日左衛門尉藤原行安が、天正16年(1588)6月、津軽為信に攻められ、主従のほとんどが討ち死にした。その時、城主の後室お妙の方は身ごもっていたため、城主の命により家老とわずかな供を連れ立って間道を通り城から大原(つがる市柏下古川)の地に逃げ延び男子を出産。その後、慶長2年(1597)大原に主従の霊を弔うため落飾し庵を建て供養した。この庵は法華庵と呼ばれ実相寺の開基である。

 50年ほど経て寛文年間(1661-72)のころ讃岐(香川県)生まれの実相院日成上人は布教伝道の為この地を訪れ、特に木作(木造)地方の多くの人の信望を得たので、住持していた法華庵を元禄2年(1689)に現在の地に移し本行寺の末寺となった。元禄14年(1701)本堂、庫裡の改装工事が完了し、法光山実相寺の寺山号を公称した。

■水虎(すいこ)大明神について
 江戸時代末期、当山18世大音院日順上人の頃、木作(木造)地方は湿地帯であったので川が多く子供の水死事故が頻繁に起こった。上人はこれを憂い子供の水死事故を防ぐために水虎大明神を勧請、祈願して広く水虎信仰を広めた。当山は、近在における水虎信仰の源であり、民俗信仰研究にとって貴重な存在となっている。

住所

〒038-3145 青森県つがる市木造千代町5-1

正式名称 法光山  実相寺(ほうこうざん じっそうじ)
住所 〒038-3145 青森県つがる市木造千代町5-1
電話番号 0173-42-2008