本行寺について

ごあいさつ

 赤門の由来は、京都大光山本圀寺総門を清正公が出陣の時くぐったとされることにならっている。

 当山は天正6年(1578年)堀越城中に創建と伝える。当国一宗中、総録所寺である。天正8年記銘の曼荼羅は、大本山本圀寺16世究竟院日禛(にっしん)上人(京都常寂光寺開山)の花押脇書があり、「妙法山本行寺妙覚院日健(にちごん)授与」と伝存されて来た開基曼荼羅である。開山上人は藩祖津軽為信公の招きにより、京都より当国陸奥へ下り、兵学、書の指南にあたった。郷土史により、京深草の住人、甲州武田軍侍上りの僧として、深草宝塔寺の歴代とされていたが、確認の結果宝塔寺歴に見当らず、大光山系の僧である。宝塔寺は妙顕寺の末頭であり、あくまで、開基曼荼羅を大光山より受けているからである。

 当山は旧本圀寺末寺であり、奠師法縁である。慶長16年(1611年)に弘前寺町(元寺町)に移り、慶安3年(1650年)に新寺町の現在地に移転された。度々の火災に会い、最終は文化7年の焼失であった。亨保元年(1716年)の護国堂(番神堂)は津軽家と関り、その祈願所として守札を献じて来た。近年、県重宝に指定された。当山には津軽7代藩主信寧公母君の墓があり、初代藩主以来愛顧を受け、守られて来た。津軽藩士で京都より招かれた野本道玄公は、本県初の絹糸の祖であり、桑畑をつくり、茶の木を植え、古義茶道御家流(遠洲流系)を伝え、当山の池泉庭、五月雨の庭の作者である。他に津軽家、間宮家、大石家、本多家等有力士分が檀徒に迎えられた。

 平成4年全山堂宇を一新し、落慶法要を営んだ。大導師は蓮華寺28世角田堯栄上人がつとめた。平成14年、山門わきに開宗750年を記念し、御題目塔を建立した。この塔は又、当年で開山上人の400遠忌に当るために建てられた。当山には、宗祖要文断片、朗師、像師、親師、禛師、他の曼荼羅を伝える。又、室町期の弁財天像、伝教大師作と伝える毘沙門天像等々を蔵する。

住所

〒036-8214 青森県弘前市新寺町92

正式名称 妙法山 本行寺(ほんぎょうじ)
住所 〒036-8214 青森県弘前市新寺町92
電話番号 0172-32-5879