法立寺について

ごあいさつ

◆紹介
 五重塔から新寺町を西に進み、桔梗野大通りを過ぎて2軒目、左手の少し奥まったところに法立寺がある。日蓮宗では県内最初に創建された寺院で、470余年の歴史と由緒を持つ。山号の「宝幢」は仏法の目印の旗、つまり仏法を広める旗印である。また寺号の「法立」も仏法を立て広めるという意味で、法華経の教えを広めようとの願いが込められている。

◆沿革
 開山は、京都本満寺塔頭(たっちゅう)玉持院2世の日尋上人。天文2年(1533)、大浦城下の賀田(旧岩木町)に一寺を創建したのに始まるといわれる。
日尋上人は本満寺修徒で文亀2年(1502)、秋田・土崎に久遠山法華寺(秋田市旭北寺町)を建てたが、ゆえあって北海道にちっ居を命ぜられ、大永元年(1521)江差に成翁山法華寺、享禄元年(1528)松前に妙光山法華寺をそれぞれ中興開山し、その後賀田に来たことになっている。日尋上人はこれら寺院建立や伝道の功績が認められ、天文8年(1539)に京都へ帰ったが、同17年遷化したといわれる。

 弘前城がほぼ完成した慶長16年(1611)、法立寺は賀田から寺町(元寺町)へ移転したが、翌17年、2代藩主信牧と重臣の高坂蔵人が争いとなった“高坂の乱”のとばっちりを受け、寺禄没収、廃寺の憂き目にあい、時の住職日元上人は除歴の上、国外追放となった。本寺の一大事に弘法寺2世・日正上人(8世)が3代藩主信義に再興請願し、努力が実って同19年再び寺は継続されることとなった。また、慶安2年(1649)5月2日の大火で類焼、翌3年(1650)に現在地(新寺町)に移転した。文化7年(1810)29世日顗上人代にも火災に見舞われ古書・古器物等も全て消失した。しかし日顗の尽力で直ちに再興され、その後34世日住上人代の安政6年(1859)に再び本堂が新築され、後41世日理上人は中門創建・鬼子母神堂・位牌堂・庫裏改築等本堂大修理したが、老朽化が進み、平成13年(2001)立教開宗750年記念事業として44世(前住職)日正上人が現本堂を新築。また、今後の少子化傾向を鑑み、同16年(2004)永代(無縁)供養塔を建立し、寺観を一新、現在に至っている。

行事
毎月13日       十三日講(信行会)1月、8月、10月、12月は除く
1月13日        初春祈祷会
3月 彼岸明け  春彼岸・塔婆供養
6月28日        鬼子母神祭(祈願)
8月20日        施餓鬼供養(塔婆)
9月 彼岸明け  秋彼岸・塔婆供養
10月13日      秋彼岸・塔婆供養
12月13日      星祭
※法要は全て午前11時より。

また随時、各種供養〔先祖・水子・ペット(埋葬可)〕、祈祷、九識霊断法による悩み事相談を受付ております。

住所

〒036-8214 青森県弘前市新寺町73

正式名称 宝幢山 法立寺(ほうりゅうじ)
住所 〒036-8214 青森県弘前市新寺町73
電話番号 0172-32-6709