「なんみょーさん、あん」25’7

さとりの花

夏の花と言えば蓮の花、静かな池の水面に、大きく花をひらくその姿は、なんとも清らかで美しいものです。 仏教ではこの蓮にまつわる「三つの徳」が説かれています。
一つ目は「汚泥不染(おでいふぜん)」
泥の中に根を張って生きながら、蓮の花はその美しさを少しも失いません。どれほど汚れた環境にあっても、自らをけがれに染めないという教えです。
二つ目は「一茎一花(いっけいいっか)」
一本の茎に一つの花。自分という命はこの世にただひとつ。誰かの代わりでもなく、誰かの真似ではなく、自分だけの花を咲かせる尊さを教えてくれます。
そして三つ目は「花果同時(かかどうじ)」
蓮は花が咲くと同時に、もう実が成り始めています。努力の結果はすぐに見えなくとも、目に見えないところでしっかり実を結びはじめているという教えです。
ところが私たちは、つい「今、目に見えていること」だけで物事を判断してしまいがちです。たとえば、学校で成績が良くて、いつも笑顔で明るく見える子がいます。「あの子はきっと悩みなんてないんだろうな」と思うかもしれません。でも実は、家では家庭の問題を抱え、夜遅くまで勉強して、笑顔の裏で必死に頑張っているのかもしれない。
逆に、会社でよく叱られていたり、成績が上がらず苦しんでいる人を見て、「あの人は努力が足りない」と決めつけてしまう。でもその人は、誰にも言わずに毎朝誰よりも早く出社して、黙々と資料を整理しているかもしれません。
蓮は、泥の中にある時間が長ければ長いほど、美しい花を咲かせます。つまり、人が泥のような苦しみを経験している時間は、そのまま人生という花を咲かせる準備の時間なのです。それを、外から見える一場面だけで判断してしまうのは、まだ咲いていない蕾を見て「これは咲かない」と決めつけるようなものです。
日蓮聖人は、『法華経』を信じる者の姿を
「火中に入るとも焼けず、水に入るとも溺れず」と讃えられました。人がどう見ていようと、自分の信じる道を歩んでいれば、私たちもまた汚れに染まらず、どんな境遇の中でも自分の花を咲かせることができるのです。
見えていることだけが真実ではありません。むしろ、その見えない根の深さが、これから咲く花の大きさを決めていきます。
どうぞ皆さんも、他人を見るときも、自分を見つめるときも、表に見えることだけに惑わされず、蓮のように心静かに、自分の内にある蕾を信じて、今日という一日を大切に過ごしましょう。 合掌

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