僧侶の背骨

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4月5日

南アルプス市久成寺様で聲明のお稽古があり、参加することができました。

普段の聲明のお稽古は、こちらのブログでもご報告してますように京都山科の護国寺様に伺っております。

久成寺様御住職、村上上人は一昨年の宗務院での布教伝道基礎研修会の講師に来ていただきました。

その時に初めてお会いしたのですが、「魅力的な人間でなくては、魅力的な僧侶にはなれない」という理念に大変に感銘を受けまして、一度はご自坊にも伺ってみたいと思っておりました。

久成寺様のお稽古は毎月5日(曜日不問)ということで、いつか、、と機会をうかがっておりましたが、ようやくその機会を得ました。

山梨は桃の花が満開で、道中も楽しく、当然ですが、講義も本当に楽しかったです。

「法要とはそもそも何か?」
「現在の法要や聲明はいつ頃に、どのような経緯で完成されたのか?」
「聲名の意味や読み下しはわかっていないと意味がない」

というお話、単体ではいくつか聞いたことのあるお話しでしたが、今回は特に350年前の現在の法要の主流が完成された経緯を、時代背景と、師弟関係までも交えながら、それでいて聖徳太子の時代にまで話が及ぶという、なんともスケールの大きいお話しです。

聲明は唱え方が良くなくてもダメだけど、歌だけがうまくてもダメだよ。。

と聞いておりましたが、上記のような「法要とはそもそも何か?」ということを踏まえてお唱えする聲明は確かに心構えから違ってくることを実感できました。

法要のあり方がわかるということは、日々のお檀家様と一緒にする法要にも響いてきます。

一番、結果がわかりやすものですし、色々な質問にも、これまでに増して自信をもってお答えできるようになったと思います!

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