水沫泡焔のごとし。

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含蓄ある長い文章よりも、単純明快で事の本質を伝える文章が好まれています。
時候の挨拶から始まり、延々と続く封書よりも、即断即決のメールが氾濫しています。

長ければ良いものではありません。
時代に合わせたスピード感も、必要でしょう。

鴨長明「方丈記」の流れに浮かぶうたかたのように、法華経の随喜功徳品には「世は皆牢固ならざること 水沫泡焔の如し 汝等ことごとくまさに 疾く厭離の心を生ずべし」とあります。お祖師さまも「持妙法華問答鈔」に記されています。変わらないものは、ないのです。

ただ、何かに急き立てられるかのように、物事が変わっていきます。
発達の極に達した情報社会では、今日同情を寄せられた被害者が、過去の言質によって自ら窮地に追い込まれる。
ひとつの事象について結果を求める、導き出す過程が、あまりにも早いような気がしてなりません。

前述の随喜功徳品、最後は「何況一心聴 解説其義趣 如説而修行 其福不可限」
(何に況んや一心に聴き 其の義趣を解説し 説の如く修行せんをや 其の福限るべからず)
耳を澄まし、あらゆる手段でかみ砕いて、懸命に努力する、そうすれば良い結果が得られる。

不変常住の妙因、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めん。
変わりゆく中に在って、変わらないものを求め続けねばなりません。

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