雅楽で法要(彼岸法要で思ったこと)

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仏教と雅楽はとても深いつながりを持っています。法華経にも「琵琶鐃銅鈸」や「諸天撃天鼓 常作諸伎楽 雨曼荼羅華 散仏及大衆」など仏様の徳をたたえる為に雅楽を奏でたことや楽器の名前がたくさん出てまいります。
 飛鳥時代には、お寺のお坊さんが雅楽の楽器を鳴らすと人々が「何の音?」と不思議に思い音のする方へと導かれ、お坊さんは集まってきた人々に仏の教えを説いたと習ったことがあります。
 9月20日、21日はお彼岸法要で2ヶ寺のお寺さんに彼岸法要のお手伝いに行ってまいりました。
 鳥取の実相寺さまは、私の叔父さんが長年住職をされていたお寺ですが、この年初に他界されたため代わって法要を勤めさせていただきました。法要の後、私の篳篥の音色を披露させていただきますと、皆さん熱心に聞いてくださいました。
 西宮の妙寶寺さまは、何度となく雅楽の奉納をさせていただいているお寺さまですが、今回は私ともうお一方、鳳笙奏者の伊藤えりさんと演奏させていただきました。雅楽の楽器の中でも鳳笙は、その澄んだ音色で人々を魅了する人気の楽器といえます。伊藤さんの音色には音の斑(むら)が無く参列の皆さんも皆一様に感動されたことと思います。と同時に、音楽は、こんなにも人の心にダイレクトに働くものなのかということも勉強させていただきました。洗練されている音色とただ鳴っている音色、たかだか音楽でしょうが、説明などいらない洗練された演奏は、彼岸会にふさわしく、訪れてくださった人々の涅槃への『禅定の修行』の一躍を担えたと思います。
 常々私は、お経を読む僧侶の声、説法をする時の慈愛に満ちた言葉の力。さらに、私も演奏している音楽の音色、その全ては、洗練された美しいものでなければならないと思っています。供え物である雅楽は他のお供え物同様、瑞々しい生き生きとしたものでなければ仏菩薩にも喜んでいただけないでしょう。
 やるからには修練を、諸仏のために衆生のために、そして自分の内にあるもののために。
南無妙法蓮華経。

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