人生の光明

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世の中には、金が無くて困っている人、病気で苦しんでいる人、地位が欲しくてもがいている人がいると思えばそれと反対に金があるためにいろいろなことに手を出したり、身持ちが崩れたりして苦しんでいる人、身体が丈夫なために人に迷惑をかけたり自分でも持て余したりして「あんな人間は少しは病気でもしたら・・・」といわれるような困り者。また、地位があるために余計な争いや苦しみをせねばならない人、あるいは子供が無くて困っている人、「こんな子ならない方がましだ!」と子があるために苦しんでいる人など色々です。こうしてみると、金だの地位だの健康だのは、それだけでは誰にでも共通の絶対的な幸せや大切なものではなく、人間にはそれよりももっと尊い大切なものがあるはずです。それは何でしょうか。

 それは、自分というものの真の尊さを本当に知ることです。自分は何のために生まれてきたのか、そして生きて行かねばならないのかを知ることです。つまり人生の意義をはっきり知ることです。
 それを悟らねばその人は譬え金があっても達者であってもついに自分を、家の中を、社会を不幸な暗いものにして何のために生きてきたのか無意味なものになってしまう。そんなことではその人のためにも社会のためにも大きな損失です。もっともっと意義有る人生を送らねばなりません。
 日蓮大聖人は、「蔵の財よりも身の財勝れたり 身の財よりも心の財第一なり」と仰っています。しかし、世の人はこれを逆さまに心の財よりも身の財、身の財よりも蔵の財を第一にしているのではないでしょうか。その証拠に神や仏を信仰する人の中にまでもそんなのが殆どであるといっても言い過ぎではありません。

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