親子の縁

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 級友の縁、知人の縁、私たちは色々な縁でつながり命を頂いております。中でも親子の縁は特に深く強いものです。
 今年七回忌を迎えるご家庭があるのですが、仮に山田さんとしておきましょう。そのお家に初めて伺ったのが奥さんが亡くなって葬儀屋さんからの連絡でした。枕経を唱える前にお顔を拝見して驚きました、大変お若い方だったからです。
お年を聞くと三十五才、傍らにはご主人と五才と三才くらいのお子さんがいらっしゃいました。亡くなった方は大変美しい方で眠っているようなお顔でしたが二人の小さな子供を残しての旅立ちはさぞかし心残りだろう、どんなに無念だろうと思いながらお勤めをさせて頂きました。
お通夜、葬儀、初七日、満中陰、お墓の建立、と日が過ぎ毎月の月参りをさせて頂いておりましたが三回忌を過ぎた頃にいつものように御参りに伺いましたらお留守。しかも何日も家に出入りした様子がありません。電話を掛けてみますと番号変更の案内がありそちらに電話をすると女の人の声、山田○○さんいらっしゃいますかとお尋ねしすると代わりますとの返事、再婚でもされたかなと思いながら待っていますとご主人が出られ「じつは再婚しまして引っ越しましたまた落ち着いたら連絡します」と言うことでその日は電話を切りました。数ヶ月後に亡くなった奥さんの本骨を持ってこられ納骨をされ、その時に再婚して迎えた奥さんに気兼ねなのでもう御参りして頂けない、こちらで供養をお願いしますと言うお話でした。それぞれ色々な事情があるでしょうが、時にはお寺に御参りしてお線香を手向けてあげてくださいということをお話しして別れました。
 それからまた数ヶ月後、大阪の堺市に御参りがありその帰り道、何気なく電気屋に入り色々と買い物をしておりました。別にその店でなくてもよかったのですが新しく建った店ですし駐車場も広いので偶然入った店でした。店内をウロウロとしていますと「お上人」と声を掛けてくださる人がおられますが顔を思い出せません「失礼ですがどちら様でしたか」とお聞きしますと「山田の嫁の親、小松です」と仰られたのにはビックリしました。失礼をお詫びして再会の偶然を驚き、お話をしておりますと「山田の家にはお参りされてますか?再婚をしたので我々も行きづらく孫にも会っていない状態です」今までの事をお話しして一年くらいはお参りをしていない事をお話ししますと、来月は祥月命日ですのでその日に一緒にお墓参りをお願いしますと仰るのでその約束をして何かの引き合わせですねと言葉を交わし別れました。
それからお彼岸などには電話があり一緒にお墓で待合せをしてお参りと言うことが23度有りました。
 そして今年の春のことです、奈良県の団参で身延山に向かう途中、名古屋を過ぎたサービスエリアで休憩がありバスを降りトイレから出てきますと「お上人」と声を掛ける方がありました。なんと小松さんではありませんか、家の宗旨が日蓮宗ではありませんが法華経にご縁があると聞いていましたので、てっきりこの団参に一緒に来られたのかと思っていましたが知人と旅行に行く途中とのことでした。そして
「今年は娘の七回忌ですが何か連絡はありますか。」
「秋までには手紙なり電話なりをと思っています。」
「ぜひ連絡を取って指導してやってください、再婚もしたのであまり来てくれるなと言われているのです。」と話をされていました。
一度目は祥月命日を近くに、そして再びこんな遠いところで七回忌を迎える年にお会いするとは偶然ではない何かを感じました。
日蓮聖人は
 「十王讃歎鈔」のなかで
 およそ一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことだ にも多生の縁とこそいいぬるに、まして況や親と なり子となるをや。
とお教えに成っています。
先の話しの出会いは単なる偶然か何かの引き合わせか、それは皆さん各々の考えを持って頂いて結構ですが若くして亡くなった子供を思う親の気持ち、子供に先立たれた親の気持ち。日蓮聖人が仰るように、親子になるという事の縁の深さ、結びつきの強さを教えて頂いたような気が致しました。

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