EXPO’70

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黄金の顔を持ち、千里丘陵に堂々とそびえ立つシンボリテックな塔。広大な公園敷地内に建つため、様々な方向から忽然とその姿を現す。

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1970年に開催された大阪万国博覧会。僅か半年の開催期間だったが、アジア初の万博に77カ国が参加し、6千万人以上が訪れたという。当時、間もなく小学校3年生になろうとしていた私は、春休み中担任に引率されて、初めてEXPO'70の会場を訪れた。

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東京オリンピック以来の国家的行事再び。右肩上がりの経済成長に、日本国民が夢見て来た豊かさが、各家庭で現実のものとなった60年代。開催の数年前より大規模な宅地造成で開発が進んでいた千里丘陵は、瞬く間に未来都市に変貌していた。建ち並ぶ高層マンションや頭上高くを走り抜けるモノレール、そして万博会場では宇宙船にロボット、動く歩道、電気自動車、ワイヤレスフォン、ファーストフード、そして所狭しと林立する近未来的な各国のパビリオン。小学校低学年には少々難解だったものの、一歩会場に足を踏み入れれば…いや会場に近付くまでの千里丘陵全体の景観が一変し、今まで味わったことのない雰囲気に興奮した覚えがある。

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人口1万人弱の片田舎からやって来たのだから尚更だった。今でこそ40分ほどで到着出来るが、当時は山越え谷越えで2倍以上の時間を要した。外国人の往来でさえ、珍しくて後を追いそうになった頃である。
「人類の進歩と調和」を、「人類の辛抱と長蛇」と揶揄した大行列待ちの憂欝も、不思議と苦にはならなかった。兎にも角にも、自分が生まれ育った国と、それ以外の国の間に横たわっていたグレーゾーンの手掛かりを見つけたかったのかな。

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ところで、万博の開催を記念して、毎日新聞社と松下電器産業株式会社(現パナソニック)の共催で、現代文化を5,000年後(西暦6970年)の人類に残すために、「タイム・カプセルEXPO'70」2個(同じ収納物)を大阪城公園本丸跡の地下に埋設している。人類共通の文化遺産、学術資料として、子々孫々、末永く伝えられていくことを願ったものだ。

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そして、1970年から今現在、およそ50年の歳月が経った。5,000年には遠く及ばないが、この半世紀に世界各地、地球規模で起こっている現象は必ずしも明るい未来を予言するものではない。「黄金の10年」と呼ばれていた60年代も今は昔。我が国も、73年のオイルショックを契機にだらだら坂を下り始めた。アジア諸国も、日本に追随する形で高度経済成長を成し遂げ、やがてはプラトーを迎える。

現首相が好んで使うキーワードは、「将来の世代には持ち越さない。」
過去の負の遺産ばかりにではなく、現在を進む道にこそ、次世代に持ち越してはならないものを見つけられないだろうか。

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