【能勢町】妙音を発する鼓(圓珠寺様)

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先週から、能勢門中寺院の圓珠寺様で、『能勢太鼓』の習練をさせていただいております。

『能勢太鼓』と申しますのは、昔からこの地方に伝わる妙見太鼓※がベースになっている太鼓の奏法をいいます。
如来壽量品という経文の中の自我偈という部分や、唱題(お題目を繰り返し唱える)を、能勢太鼓の独特なリズムで打ちながらお唱えします。特にお自我偈の方は、通常の太鼓よりかなり複雑なリズムですので、お檀家様の研修には2年かけて習得を目指されるそうです。平成11年から始められたこの『天鼓会』(てんくかい)は、既に7期を数え、40名近い能勢太鼓マスターを輩出しています。
『天鼓会』が発足して、今年で丸15年。コツコツと習練を重ねられ、定期的に発表の場を設けるなど、お檀家さんの弛みない努力と御住職の創意工夫で、能勢太鼓を後世に伝える会として大変に貴重な存在になっています。
先月の春季百部経法要では、お檀家様の勇壮な太鼓の音が、能勢の里山に響き渡りました。一糸乱れぬ能勢太鼓の大合奏は、まさに重厚な群舞を連想させると共に、木の葉が風に舞い上がるような浮揚感を感じました。
皆さんの太鼓と共に一心に読誦しながら、心は解き放たれ、お釈迦様が願われた世界が“妙音”となって、里山全体に広がっていくような不思議な感覚に浸っていました。
「お上人、お上人。」と皆さん呼んで下さいますが、私達からのメッセージばかりでは決してない・・・お檀家様からいただける慈悲や感動が、私達を間違いのない方向へと導いて下さることも多いのです。
我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
宝樹多花果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆伎楽
【如来壽量品第十六】
この国土は安らかで、常に天人で満ちている。
美しい花園やきれいな木々の中に、お堂や楼閣が建ち並び、
様々な宝で荘厳されている。
宝石のように輝く樹や花、果実に満ち溢れたこの世界で、
人びとは遊んだり楽しんだりしている。
諸々の天人が美しい音色の鼓を打ち鳴らし、いつも音楽を奏でている…
※能勢頼次公と寂照院日乾(にちけん)上人
11世紀前半頃より、当地を治めていたのは多田源氏(現在の兵庫県川西市多田周辺の地を本拠とした、清和源氏2代目源満仲の系統。)の流れを汲む能勢氏で、3代頼国公の時に多田庄から能勢の地に移り住んで能勢氏を名乗ったといわれる。23代頼次公の時代には、本能寺の変で明智光秀側に加わり、一旦は領地没収の憂き目に遭うが、1600年の関ヶ原の合戦で戦功を挙げ旧領を回復した。
代々法華経を信仰していた頼次公は、同年秋には京都広宣流布山本願満足寺8世寂照院日乾上人(後の身延山久遠寺21世)を当地に招き、広大な土地建物を寄進している。身延山久遠寺法主退隠後には、再び能勢郡に戻られ、頼次公の外護の下、覚樹庵や真如寺を拠点にして積極的に布教活動を行った。師が“本郡授法の唱導師”と呼ばれる由縁である。
また日乾上人は、満仲以来崇拝していた鎮宅霊符神(北辰)を北辰妙見大菩薩とし、ご尊像を自ら彫刻して授与し、これを能勢の領地が一望できる為楽山の山頂に祀った。これが現在の能勢妙見山の始まりである。
武運長久を願って妙見大菩薩を崇めた能勢氏の出陣太鼓のようなものが、妙見太鼓のベースになっているのではないかとも伝えられるが、真偽のほどは定かではない。
《参考資料》
関西身延 真如寺公式HP
写真集/能勢妙見・真如寺・奥の院

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