いのりんぴっく 日蓮聖人の辻説法

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いよいよ明日、京都本山頂妙寺様(左京区川端通仁王門東入)で、祈りの祭典『いのりんぴっく IN 京都』が開催されます。

私の知り合いが多く関わっておりますし、企画立ち上げの段階からその推移を見守っておりましたので、まるで我が事のように昂っております。
一人でも多くの『祈り』が集まればと願います。
一文字でも多くの『経文』が納経出来ればと願います。
 
日蓮聖人が生きて来られた鎌倉の時代(1192-1333年)は、私達にとっては特別な時代です。聖人が鎌倉の地に入られてからの様子を少し紹介します。
 【日蓮聖人の辻説法】
比叡山を始めとして各地で修行を積まれた日蓮聖人は、建長5年(1253)に鎌倉に入り、松葉ヶ谷に草庵を構えました。当時の鎌倉は、天災が続き疫病が蔓延していました。聖人は松葉が谷の草庵から小町大路の街頭に毎日通い、不安に怯える民衆を救おうと、辻説法を行い「お題目」の教えを説きました。
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」 の四箇の格言をもって立正安国を唱える聖人は、杖木瓦石(杖で打ちかかったり、瓦や石を投げつけたりして肉体的苦痛を与えること。)を被ることも多かったようです。
しかし、法華経の如来壽量品の結句(速成就仏“身”)が意味する「我が肉体を十二分に駆使して、衆生を救済する。」「法華経を色読する。」という教えの通り、我が身を惜しまずに投げ打って布教されるお姿に、次第に聖人をお慕いする人々が増えていきました。御年38歳の時です。
聖人は松葉ヶ谷の草庵を拠点として辻説法をしたと伝えられますが、辻説法の場所については御遺文に具体的な記載はなく、当時を知らせる資料も残されていません。
この「日蓮聖人辻説法跡」(鎌倉市小町2-22-11)は、日蓮信者の田中智学居士が整備しました。智学居士の研究によると、実際に日蓮が辻説法を行ったのは、現在の蛭子神社(小町2-23-3)のある辺りとしています。

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