信解品第四(11月8日お経会)

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11月8日のお経会は、信解品第四についてです。
「しんげほん だいし」と読みます。

ここでは、お経会でお話しする内容を書いておきます。

私たち日蓮宗では、法華経というお経を読み、信じます。

信解品第四は、法華経の第四章になります。

信解とは、「信じ、理解する」という意味です。
「理解し、信じる」ではありません。
まず信じることが先にあって、信じたからこそ理解したのだということになります。

この章に限らず、法華経では「信」ということをかなり重視しますので、
「信じるところから始まるらしい」とお考えください。

参考
以信代慧(いしんだいえ)
信仰をもって智慧の修行の代わりとする
→つまり、信じることによって修行の功徳が得られる

○これまでの復習

序品第一(第一章)
→法華経は、すべての仏が説く究極の教えなのだということが示される

方便品第二(第二章)
→仏が一番弟子・舎利弗に語りかけ、教えを聞いたすべての存在は必ず仏になれるということを説く
→また、これまで説かれたお経は、この法華経に至るまでの重要な筋道だったということが説かれる

譬喩品第三(第三章)
→上の話を、よりわかりやすい例えを用いて、繰り返し説く
→私たちは、火事の家に住んでいる子どもであり、子どもを家から出すべく父は、外から「おもちゃをあげるよ」と呼びかける
→家から出てきた子どもたちに、父は約束していたものよりもずっと素晴らしいおもちゃをあげた
→父は仏であり、おもちゃとはたくさんのお経を例えたもの
→「ずっと素晴らしいおもちゃ」がお経

お釈迦様の弟子の中でもっとも賢い人と呼ばれたのが、舎利弗という方でした。
その方は譬喩品第三で、お釈迦様から仏様になれると約束されます。

ともに努力を重ねてきた弟子たちはその約束に喜びます。
しかし舎利弗は、他の弟子たちがまだお釈迦様の説明を理解しきれていないことに気づき、
重ねての説明をお願いします。

その説明によって、新たに4人の弟子たちが内容を理解します。
信解品第四は、この4人の弟子たちがお釈迦様の話を理解し、喜ぶところから始まります。

○「信解品第四」の4人の弟子たち

1.須菩提(しゅぼだい)
仏教には「空(くう)」という概念があります。
これはまたいつか説明しますが、今でも多くの研究者や学生を混乱させている手ごわい存在です。
この空をもっともよく理解したのが須菩提と言われています。

また、お釈迦様に祇園精舎と呼ばれる修行の場を提供した給孤独長者の甥っ子と考えられているようです。
給孤独長者は、王子の持ち物だった祇園精舎をお釈迦様に寄進したいがために、
土地を王子に譲ってくれるよう頼みこんだことで知られます。
王子の条件は、「祇園精舎の地面すべてに金貨を敷き詰めること」でした。
長者が本気でそれに取り組んだために、王子は根負けして土地を譲ったと言われています。

2.摩訶迦旃延(まかかせんねん)
論議第一と呼ばれ、とにかくわかりやすく教えを説くことに専念し、北インドの布教に尽力したと言われています。
しかしながら、残念なことにこの方の業績はほとんど不明です。

3.摩訶迦葉(まかかしょう)
「摩訶」とは、「偉大な」という意味です。
迦葉という名前の弟子は複数いましたが、その中でもっとも偉大だったのがこの人物で、「お釈迦様の頭脳の半分」と称されます。
「頭陀(行)第一」と言われ、必要なもの以外を一切持たない清貧の実践者でした。
(今で言う断捨離に似ています)

お釈迦様の亡き後、仏教教団の後継者となります。
今、私たちがお経を読めるのは、この方が編集委員を立ち上げたおかげです。

ちなみにこの方は非常に身分の高い宗教者の家に生まれたそうです。
家を継がせるために両親は結婚を勧めますが、独身で修行に励みたかったので断り続けていました。

この親子喧嘩は膠着状態となり、摩訶迦葉は譲歩します。
黄金を取り寄せ、そこからこの世の存在とは思えないほどの綺麗な女性の像を作り上げます。

「この像とまったく同じ女性を連れてきてくれたら結婚しますよ」

信じられないことに、両親はその女性を連れてきました。
摩訶迦葉は観念したものの、なんと相手の女性もまた同じ考えの持ち主で、
二人仲良く出家してしまったそうです。

なお、摩訶迦葉は現在もまだ、インドの鶏足山(けいそくせん)にて、
瞑想の修行に取り組まれていると言われています。
(今回の画像は、インド鶏足山の摩訶迦葉像です)

4.大目犍連(だいもくけんれん)
通称:目連
お釈迦様の一番弟子である舎利弗の大親友でした。
「もし私たちのどちらかが先に悟ることがあれば、必ずもう一人にも隠すことなくすべてを教えよう」
舎利弗とそう約束していたようです。

ちなみに、舎利弗と目連はお釈迦様とは別の教団の幹部でしたが、
お釈迦様の弟子のあまりの立派さに驚いた舎利弗が、
目連を引き連れて仏教教団に移籍したという話があります。

元々二人を教えていた師匠は目に見える一切のものを信じないという主義の持ち主でしたが、
文字通り二人の脱退が信じられず、怒り狂って血を吐いて倒れたそうです。

なお、目連は神通第一と呼ばれ、神通力(超能力)が弟子の中でもっとも強かったと言われています。

残念なことにこの方は、お釈迦様の教えに反対するものたちから撲殺されてしまいます。
およそ2500年前のことです。

しかしながら、この方が自分の亡母を助けるために始めた「盂蘭盆会」、いわゆる「お盆」は、きっとこれからも続くでしょう。
お盆が続く限り、この方が忘れられることは決してありません。

○「信解品第四」の内容~長者窮子喩~

上で紹介した4人の弟子たちが、大きな喜びを感じます。
その理由は、舎利弗が仏になれるという約束を聞いたこと、
そして成仏の約束は舎利弗のみならず、自分たちにもまた当てはまるのだと知ったからでした。
この素晴らしい教えを知り、その感激を例え話にして述べます。

その例え話が、「長者窮子の喩え(ちょうじゃぐうじのたとえ)」と呼ばれているものです。

ある長者の子どもが、家を出てしまいました。
しかし生活が立ち行かず、物を乞いながら放浪していました。
長者は出ていった子どもを探しますが、なかなか見つかりません。
ついにひとつの町に家を建て、居ついてしまいました。

ある日、例の息子が食事を求め、父の家にやってきました。
息子は、そこが父の家だとは知りません。
一方父は、、ひと目見て自分の息子だと気づきました。

父は立派な姿の遣いに言って、息子を連れてこようとしました。
ところが息子は、屋敷があまりにも立派すぎることに驚き、逃げ出します。

なんとか連れ戻しに成功したものの、息子は混乱していて話になりません。
ついには恐怖で気絶してしまいました。

仕方がないので父はその息子に水をかけて起こし、放してやります。

ただし父は、諦めたのではありません。
改めて、憔悴しきったみすぼらしい遣いをやって、
息子に屋敷のトイレ掃除の仕事をしないかと持ち掛けさせます。

長者の屋敷ので働くと倍のお給料が貰えると聞いて、息子は喜んで戻ってきます。

そこで、一生懸命に働きました。
父は時々汚い恰好をして子に近づき、励ましたり叱りつけたりしました。

息子は頭角を現し、ついには財産管理係にまで出世します。

長者は徐々に衰えていきます。
そしてある日、寝床に息子の他、地方の有力者などを集めて発表します。

「実はこの子は、私の血を分けた息子なのだ。私はこの子に、持っている財産のすべてを譲りたい」

こうして、息子は父の財産を受け継ぎました。
めでたしめでたし。

この話では、以下のように例えられています。

長者の父 =仏
息子   =私たち
長者の財宝=法華経
貧相な使い=法華経を弘める者たち

長者である父は、最初から息子に財産を渡すつもりでした。
だから連れ戻したのですが、息子自身がそれを拒みました。
父の全財産よりもトイレ掃除の給与の方が欲しいかのようです。

これは、仏になる資格を持ちながら、頑なに信じない私たちの姿でもあります。
悟ることができれば、悩みを解消することができるのに、
どうしても目先の利益を求めてしまいます。

目先の利益を求めるのは、自分はもっと大きな器だということを信じていないからだとも考えられます。

上で紹介した4人の弟子たちは、仏様になりたいと思って修行をしていたものの、
実は自分が仏になれるということを信じ切れていなかったために、
なかなか進むことができずにいたのでした。

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