御首題の猊下 紹介

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左の写真は、頂妙寺墓地歴代廟です。左端の大塔婆は、頂妙寺第八世 精進院日龍上人明年平成三十年が三百五十遠忌にあたり、本年の先聖法要よりお供えしております。
そのような縁のある猊下の御首題を、金山家より御奉納いただきました。
頂妙寺第八世 精進院日龍上人
  (一五九四~一六六九)
中山法華経寺二十三世でもあります。
四十四才のころ、頂妙寺を辞し、鷹峯に知足庵(今の瑞芳寺)を建立し隠棲します。
在庵三十三年。一字三礼の紺紙金泥妙法蓮華経を書写し、毎日三回の勤行に努められました。
本法寺第十八世 本通院日允上人
   (一六一九~一六九二)
中山法華経寺三十五世をへて、妙覺寺二十四世となられます。
本阿弥光悦の孫にあたり、身延山二十六世日暹上人の弟子であります。
晩年は鷹峯に隠棲し、祖父光悦ゆずりの能書の人として有名です。
勝光院日耀上人の師匠であり、日耀上人の弟子が縁祖了義院日達上人です。
立本寺第二十世 霊鷲院日審上人 (一五九九~一六六六)
生涯で法座を一万座つとめ、御曼荼羅を十万余幅したためられたことで有名です。立本寺の再建整備に全力を傾けられました。御曼荼羅などに記す花押が、壺の形に見えることから「壺日審」とも呼ばれます。
この度、金山家から御奉納された御首題ですが、日龍上人の三百五十遠忌。日允上人が縁祖の大師匠であったこと。日審上人が本山境内の再建整備に努められたことなど、不思議な縁を感じました。
 

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