立正安国・お題目結縁運動 いのちに合掌

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四海唱導 宗門随一 勅願霊場

龍華 大本山 妙顯寺

【Ryuge Myokenji】

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真・・空?

先月はどたばたしてブログを更新することを忘れていました。
 
今月は「」について
 
お坊さんのお話でも「」というテーマで法話を聞く機会はあまりないかと思います。社会人として人前で話すとき「宗教」「政治」「野球」がよく3大タブーと言われていますが、法話の中でも同じように「」「」「」というものは3大タブーに近いものがあります(私のなかで)。話の扱いが難しいテーマであるけれども、人々がもっとも悩むテーマでもあります。
 
『みなさん、死が恐いと感じたときはいつか覚えていますか?』

私は小学校2年生のとき、テレビでアニメを見ていて、ある登場人物が殺されたときに「人は死んだらどうなるのか」と感じ、怖くなったことを今でも覚えています。
多くの人は身近な人が亡くなったときに「」という現実と直面するかと思います。

統計でみますと、「死に対する恐怖感」は青年期から中年期にかけて最も高くなり、高年期になるとほとんどの人が恐怖感を感じない傾向があります。これは「」という問題に対して何度か直面し、ある程度受容できてきたためです。しかし、今の社会は「死」というものから遠い社会になってきました。そのため、これからの社会は「」をある程度受容できないまま」に向かう人が増えていくかもしれません。
 
 怖い、楽しいといった心の状態から離れることを「」といいます。私たちの心は絶えず動いています。そのため、怖くなったり、楽しくなったりするわけです。その感情をいつまでも手放さないことを「執着」といい、その執着を捨てることを「」というわけです。
」という言葉は一般の方にもよく知られ、みなさんが好きな言葉だと思います。しかし、多くの人が「」=「」と勘違いとしている人が多いです。

」とは梵語「シューニャ」の訳語であり、その語根「シュヴィ」は「膨れる、成長する」の意味をもっています。
例えば、風船のようなものであり、外側が膨らんでいても、内側は「空(カラ)」である状態を指します。
つまり、「」と「」は同じではないのです。むしろ「」は「」と全く真逆の状態です。
量子学でも哲学的な意味での「」や「ゼロ」は物理的にはありえない「無は無ではない」ということが分かっています。
 
」といえば、「真空」というものがあります。
よく理科の実験とかで見た事があるかと思います。

『あの真空という状態はどんな状態なのでしょうか?』

(※難しいことが嫌いな人は飛ばしてください)
実は、量子学によると真空は何もない空間ではなく、いたるところで粒子反粒子がセットで生まれていると考えます。
 反粒子とは粒子と性質は同じだけども、プラスマイナスの符号が異なる粒子のことです。反粒子はほとんど私たちの身近には存在しません。しかし、粒子加速装置を使って一点に膨大なエネルギーを与えると、粒子と反粒子のペアがたまに生まれてくることがあります。これを対生成(ついせいせい)といいます。しかし、粒子と反粒子は一瞬の内に再び結合して膨大なエネルギーを放出して消えてしまいます。これを対消滅(ついしょうめつ)といいます。
「真空」の中はこの対生成と対消滅がたえず繰り返している状態です。(興味のある人は量子学の概論書にも乗っています)

つまり、「真空」は完全な「無」ではなくて、粒子や反粒子が存在する「有」との間をゆらいでいるのです。
要は「真空」の方が膨大なエネルギーを持っており、「空」とは何もない空虚な世界ではないということです

他には例えば、太陽光があります。太陽光は「白色光」と言われ、「色」はありません。つまり、「無色」です。しかし、虹を見たら分かるように、光はあらゆる色の光を含んでいます。つまり、すべての色を含んだ方が無色になるのです。
これらのことから、「空」というものは「実」よりも膨大なエネルギーが働いていることが分かるかと思います。
 
 臨死体験の本を読んでますと、よく人が亡くなる時、亡くなる人の景色はまばゆい光に包まれるとよく言います。段々身体から離れる準備をします。人によっては異なりますが、人間は自分の死ぬ時期が近づいてくると、大体変な幻想のようなものが見えたり、ワケが分からないことを言って、全然こっちの言うことを聞いてくれなかったりすることがあります。これは今まで身体に貯めていたエネルギーが身体の崩壊とともに少しずつ抜けてきているのです。そして、最後に亡くなるとき膨大なエネルギーの放出とともに人は亡くなるわけです。死ぬときも私達の体はどんどん亡くなる準備をしているわけです。
 
 あの世があるかは定かではありませんが、少なくとも人が亡くなるときは生まれてくるときと同じように膨大なエネルギーが働いており、人は亡くなるときはまばゆい光の中で亡くなると言われております。
 
今月は人が亡くなるときには真っ暗になるのではなくて、まばゆい光の中で亡くなっていというお話でした。
少しは亡くなるということに対して怖さが紛れたのではないでしょうか?
 
しかし、残念ながらみんながそうなるわけではないのです。
物事にはいろいろ順序や作法があるように、死に方にも作法があるわけです。
 
来月につづく

【写真】
今年、現在「四海唱導の庭」の紅葉
 

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