妙宣寺について

ごあいさつ

当山は阿佛房日得上人千日尼御前夫妻の旧蹟霊場である。
日得上人、俗称遠藤左衛門尉為盛は、承久三年(一二二一)順徳上皇佐渡御遷幸に供奉せし北面の武士にて、その妻は上皇御還幸を祈願して真野の入江に水垢離を取ること一千日に及び、上皇はその誠を喜び千日女の名を与えたと伝えられている。
仁治三年(一二四二)上皇崩御の後、佐渡の地に留まり陵墓に仕えて三十余年の間称名念佛を怠ることなく、遂には阿佛房と称するようになった。

文永八年秋、日蓮大聖人には幕府の御勘気を蒙むり佐渡御配流となり、十一月一日塚原の地に調居の身となられた。
「北海の島にはなたれしかば、かの国の道俗は相州の男女よりも仇をなしき・野中にすてられて雪にはだえをまじえ、草をつみて命をさふえたりき……。」(当山所蔵単衣御書)
念佛の強信者阿佛房は宗門の怨敵と思い大聖人を責めんとしたが却って教化帰伏し、当国第一の法華信者となり、妻千日と共に身命を省みず深夜密に食糧を運び供養を怠らず、諸宗僧俗の迫害から聖人を守る大外護者となった。

「しかるに尼御前並に入道殿はかの国にある時は人目をおそれて夜中に食をおくり或る時は国の責をもは蛍からず身にも代わらんとせし人々なり、さればつらかりし国なれども剃りたる髪もうしろへひかれ進む足もかえりぞかし」(単衣御書)
と身延の山より御手紙を送り、また
「日蓮佐渡の国へ流されしかばかの国の守護等は国主の御計りに随いて日蓮を仇む万民はその命に従う……地頭念佛者等日蓮が庵室に昼夜立ち添いて通う人もあるをまどわさんとせしめに、阿佛房に櫃をおわせ夜中に度度御わたりありしこといつの世にかわすらむ、唯慈母の佐渡の国に生れ代わりてあるか。」(当山所蔵千日尼御返事)
とも記して阿佛房夫妻の徳を称えておられます。

文永十一年三月十三日、法門開運の時いたり宗祖大聖人には御赦免鎌倉より身延へ御入山。
阿佛房夫妻は常に大聖人を慕い申してはいても、八十の齢を超しては海山千里はままならず、阿佛房は男の身なればとて二度、三度まで身延の山を登詣し御給仕を尽くし、三度目の登詣は弘安元年七月、九十の高齢をも省みず一刀三礼お写し申し上げた宗祖のお姿を肩に負い身延の山に登られたので、
大聖人には御親しく開眼をなされ、阿佛房の願いを入れてお弟子となし日得上人の名を与え、妻には千日尼御前の名を賜わった。

住所

〒952-0303 新潟県佐渡市阿佛坊29

交通アクセス

●両津港より車で30分
●小木港より車で40分
●赤泊港より車で45分

正式名称 蓮華王山 妙宣寺(みょうせんじ)
住所 〒952-0303 新潟県佐渡市阿佛坊29
駐車場 有・30台
電話番号 0259-55-2061