養老 妙見堂について

日蓮宗 養老教会 妙見堂 由来
この妙見堂は、明治13年(1880)、養老公園が開設される時、当時の県令小崎利準氏の要請により身延山久遠寺 第95世 法主 日鑑上人が明治15年10月に堂宇を建立、開運北辰妙見大菩薩を勧請されました。

この地は今より約400年前、未曾有の大旱魃が続いた時、身延山久遠寺 第21世 法主 寂照院日乾上人が、当地に雨乞いの霊場として開かれたものです。

その後、各地に妙見信仰が広まり、同堂も北辰妙見大菩薩を勧請を機に、養老の「妙見さん」として人々に親しまれてきましたが、幾星霜の年月を重ねるうちに次第に老朽荒廃、昭和37年には、ついに倒壊の悲運に見舞われることとなりました。

幾度となく再建計画は、たてられましたが、同堂の場所が、国有の公園予定地であった為、都市公園法の規制をうけ再建できないままでありましたが、寺宝である『木造釈迦如来立像』が県の重要文化財の指定を受けたのを機に、昭和52年6月に公演予定地より解除され、本堂の再建をみるに至りました。

北辰妙見大菩薩
北極星にして、宇宙創造根元の神。
運命を司る神として、特に開運招福。
他にも、商売繁盛、家内安全、交通安全、諸願成就等、如何なる祈願にも霊験顕現の神尊である。

寺宝
寺宝である木造釈迦如来立像は江戸時代初期の寛永年間(1630年頃)に徳川家康の側室養珠院の発願により、中正院日護上人(京都三宝院開祖)が製作したものと伝えられているもので(日護上人は一本の大木から3躯を彫刻しその1躯とされています)、寄木造、玉眼、漆箔、像高355.0cm、台座の高さ133.0cm、昭和49年(1974)に岐阜県指定重要文化財に指定されています。

(下記、岐阜県ホームページより抜粋)
・寄木造玉眼漆箔
・像高:355.0cm台座の高さ:133.0cm
寄木造の玉眼像である。右手は施無畏印[せむいいん]を結び、左手は掌を前に垂下[すいか]し蓮華座に立っている。面貌は温雅、玉眼は大きい。衣文[えもん]は相当深く、古式の翻波線[ほんぱせん]を交え、巧みに処理されている。肉身部は黒漆塗、法衣の部分は漆箔となっている。巨像であるが、全体のバランスのとれた優作である。蓮台は漆箔で、像と同時期の作であるが、この像を迎えて安置した時、建物の高さの関係からその一部を取り去っている。像と蓮台に破損の箇所はないが、像や蓮台の金箔はところどころ剥落している。なお光背はない。
伝えによると、この釈迦像は、江戸時代初期の日蓮宗の高僧中正院日護(1580〜1649)の造顕となっている。仏祖統記巻39によると、日護は紀伊国養珠寺の弟2世、学徳高く、徳川頼宣夫妻の帰依が厚かった。仏像彫刻に秀で、生涯に造顕した仏像は1万余躯に上り、後水尾天皇も、日護に命じて、朝向閣の仏像数躯を刻ませている。
この妙見堂の釈迦如来は、徳川家康の側室養珠院の発願により、日護が一木をもって、同法量の釈迦如来三躯を刻んだという三躯の内の一躯である。大正10年頃縁あって妙見堂に迎えられた。

本堂(妙見堂)
妙見堂の御堂は木造平屋建、宝形造、桟瓦葺き、桁行4間、張間4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。

住所

〒503-1254 岐阜県養老郡養老町養老公園1298番地

正式名称 養老山 養老 妙見堂(ようろう みょうけんどう)
住所 〒503-1254 岐阜県養老郡養老町養老公園1298番地
駐車場 有りますが、お越しの際は養老公園の有料駐車場を利用下さい
メールアドレス nichiren.yourou@gmail.com