長野市松代 蓮乗寺です

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 文永8年(1271)秋、宗祖日蓮聖人鎌倉より佐渡御配流のみぎり、土地の豪族久龍源吾は地蔵峠まで宗祖を出迎え、既信の法華信仰について、胸中の疑惑に対し明解な教示を得て感激、深く宗祖に帰依するとともにさらに信仰にはげんだ。そして、宗祖佐渡ご在島3年、文永11年3月ご赦免となり、ご帰倉の途次ふたたび当地を通られ、久龍源吾の館にお泊まりになり、源吾は一層広大無辺の慈教に浴した。
 『蓮乗寺記』には「源吾薙髪法号日縁又蓮乗皆大士所賜也」と記され、”蓮乗”の法号を宗祖より賜り、また、源吾の邸が松代海津の地にあったところから「久龍山海津寺」として、建治年間に当地における唯一の法華の道場として建立せられたのが当山の濫觴である。なおまた、現在の松代町東条の加賀井温泉は、往時、久龍氏の領地で、「加賀井の里ありて温泉の出ずるあり…」と記され、宗祖ご入湯の古湯として今に伝えられている。
 爾来300年、永禄年間武田信玄の川中島出兵とともに幕下の将山本勘助(道鬼)が天文22年(1553)海津城を築城するに当たり、寺は現在地の御安に移転、寺号も開山蓮乘院日縁の名前をとり「海津久龍山蓮乘寺」と改称し、武田信玄幕下の将小幡山城守入道日乗、原美濃守日入をはじめ多くの檀信徒の要請により、身延山第14世善学院日鏡上人の配意を得て、甲斐の僧一輪院日祐上人を再建住職として招請、移転再興以来実に400余年、草創以来700年を経て、再々の類焼に遭い、再建の本堂も老朽化著しく、立教開宗750年記念事業中本堂大改修、位牌堂の増築を行い今日に至っている。
 当山は通称”七面さん”ともよばれ、古来身延山の七面山本社より御分体を勧請し、仏教信仰の善男善女の除災得幸、心願成就、学問増進の守護神として多くの人々の信仰を集め、また、地元の民謡にも「九の日、九の日は、七面さまよ…」とうたわれ、毎年8月8日・9日の両日の大祭には、遠近各地より数千の参詣者でにぎわう。

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