佐々井秀嶺という僧・・・

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現在、インドで1億人とも言われる仏教徒
その最高指導者が "日本人僧侶" であるという衝撃
あなたはご存知でしょうか?

紀元前5世紀に、カースト制から民衆を解き放ったゴータマ・シッダールタ(釈迦) の仏教は「非暴力主義」であったがゆえに、13世紀に凄惨な大虐殺を受けインドから姿を消す

釈迦はヴィシュヌ神の9番目の化身であり、偽の宗教を広め、世を乱したダークな神様だとされてから、760年後の1966年

日本人僧侶「佐々井秀嶺 (しゅうれい)」は33歳で単身インドに渡り、カースト制において

"人間ではない"
"触れることも見ることも汚らわしい" と

人間としての生活も教育も絶たれ、自分たちの境遇に疑問を覚えることすらできなくなった人々「不可触民」たちに、尊厳と平等を教え、文字通り身を捧げてゆくことになる。

彼は町を歩き、願い事を叶えて回った。

井戸掘り、大工の手伝い、祈りよりも実践の日々だった…

インド大陸の中央、
密教の胎蔵曼荼羅で例えれば大日如来の位置にある、
仏教復興運動の中心地「ナグプール」

そこは同時に、マハトマ・ガンディーの暗殺犯が所属し、
インド政界に強い影響力を持つことで知られる
ヒンドゥー教至上主義組織の本部がある最前線のような街である。

1967年、この地に導かれるように辿り着いた佐々井は、
かつてインド憲法にカースト制廃止を記し、
ガンディーと並び称される20世紀の巨人、
インド仏教復興運動の父 B・R・アンベードカル博士の存在と
その没後10余年の空白に心の支えと生活を失った民衆に出会う

B・R・アンベードカル (1891〜1956): インド初代法務大臣に就任して現インド憲法を起草。国旗の制定に関しては、人間平等を説く仏教のシンボル・法輪(チャクラ) を中心に定め、国章は仏教を守護したアショーカ王の紋章・獅子像に決めた。国会議事堂の大統領席背後には、パーリ語でブッダの言葉「多くの人々の幸福と利益の為に」を刻印されている。1956年に約50万人の不可触民と共にヒンドゥー教から仏教への集団大改宗を行い、インド仏教復興を宣言した。

志半ばで倒れた博士の遺志を継承すべく、
頼まれたら後には退かない
「日本男児の義侠心・忠義心」によって、
何度も暗殺者に毒殺されかけるも、自らの命すら顧みない
"佐々井秀嶺" の強烈な個性と行動は、次第に人々の心を動かし
尊敬を超え「愛」と呼べるものに変わっていった

1988年、53歳でインド人となる

仏教復興とカースト制の非道を告発し、最下層民の先頭に立っていた佐々井師を「危険人物」と感じたヒンドゥー教徒の支配層が、不法滞在者として逮捕
地元各紙は1面トップで逮捕の仕方を非難した

「不当逮捕反対」のデモには10万人の市民が集まり、佐々井師の国籍授与を求める「全市民佐々井秀嶺擁護委員会」が結束され、彼を応援する民衆は仏教徒のみならず、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒を始めとしたすべての教徒に波及、宗教宗派の域を超え1ヶ月足らずで60万人の署名が集められる。

膨大な署名の束はラジーヴ・ガンディー第9代首相に届き、当時としては異例の取得許可が出された (3年後に首相はテロリストにより暗殺される)

首相から贈られた名は、一切衆生を救おうとする
"大乗仏教" の開祖「龍樹 (りゅうじゅ)」を意味する

「アーリア・ナーガルジュナ (聖龍樹)」

かねてから佐々井師が信奉し続けた、インド仏教僧の名だった。

釈迦以後に世に出た最高の祖師と称される龍樹は、2世紀頃に「空」の理論を完成させ、日本の仏教のほとんどの宗派においても重要な存在とみなされる

その龍樹が密教の経典を授かったとされる「南天鉄塔 (下図)」は、世界中の考古学者が探している伝説の塔で、これまで南インドのアーンドラ州にあるというのが定説だった

だが、ここで佐々井秀嶺師による "ある話" を書かざるをえない

遡ること1967年、佐々井師は北インド・ビハール州にある日本山妙法寺で33歳の1年を過ごしていた。インド仏跡を巡る旅に出るためこの地に別れを告げる日の夜、近郊にある多宝山に登り、結跏趺坐していたところ

ちょうど夜中の2時頃だと思います。

突然、何かでガーンと頭を叩かれた。すると私の後ろに額をピカピカに光らせた鋭い眼光の老人が、目をカッと見開いて立っておったんですわ。(中略)

右手には剣とも杖ともおぼつかないものを持って、それで私の肩をパッと押さえつけているんです。(中略)

私は恐怖で身動きがとれず、汗が流れ出た。(中略) その老人は日本語で、日本語でですよ、こう言ったんです。

『われは龍樹なり。
汝すみやかに南天龍宮城にゆけ。

南天龍宮城はわが法城なり。
わが法城は汝が法城。
汝が法城はわが法城なり。

南天鉄塔もまたそこにあらんか』

小林三旅 著「男一代菩薩道」

翌日、日本山妙法寺の師・八木天摂(てんしょう) 上人に「南天龍宮城とはどんなところなのか」と問うと、サンスクリット語で "龍宮城" とは "ナーガ(龍)プーラ(宮)" 。ヒンディー語では・・・

「ナグプール」

仏跡参拝を取りやめて、佐々井師はナグプールへと向かうこととなる。それから30年後の1988年、ナグプールとシルプール近郊のマンセル遺跡付近に南天鉄塔が存在したと確信し発掘作業を開始したところ、世界遺産級の遺跡が姿を現してしまった。

その規模、ビハール州にあるナーランダ遺跡の4倍。美術史を書き換える可能性を秘める大きさで、インド最大の仏教遺跡になると言われている

にわかには信じられないが、事実には抗えない

2003年、佐々井師はインド政府の中でも副大臣に相当する要人の扱いを受け、強大な権限が与えられているインド政府少数者委員会(マイノリティ・コミッション) に、1億人の仏教徒の代表として任命された

大和魂。義侠心。

現在、毎年10月頃にナグプールで開かれる祭典、不可触民とされた人々がカーストと決別し仏教徒となる大改宗式には3日間で100万人にも及ぶ群衆が押し寄せている

「信仰とは、信念を持って日々を生きること」

by佐々井秀嶺

インターネットより加筆転載

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